【イギリス・コッツウォルズ】マナーハウスの廃墟「ミンスター・ラベル・ホール」を訪ねて

美しい田園地帯に佇む「ミンスター・ラベル・ホール」へ

「ミンスター・ラべル(Minster Lovell)」は、オックスフォードシャー州西部、コッツウォルズの南東部に位置する非常に長閑でひっそりとした小さな村。バーフォードからは車で約10分ほどの距離です。

「ミンスター・ラベル・ホール」へは、隣接する「聖ケンルム教会(St Kenelm’s Church)」の墓地を通って北側からアクセスします。(教会の約180m手前にある駐車スポット(約10台)を利用)

少し早く到着してしまい、辺りはまだ真暗だったので20分ほど車内で待機し、朝陽が昇り始めた頃、小道を歩いて現地に向かいました。

ミンスター・ラベル・ホールの歴史と復元イラスト

1430年代に再建された「ミンスター・ラベル・ホール」の想像鳥瞰図(復元イラスト)です。中世後期の荘園住宅の特徴的な形態で、建物は中央の中庭を囲むように配置され、背後には教会や鳩小屋も描かれています。

この遺跡は1430年代、12世紀から所有していたラベル家の土地に、イングランドで最も裕福な人物の一人第7代男爵ウィリアム・ラベル(1455年没)が、その富を示すために新しく建て替えた邸宅です。

ウイリアム・ラベルの息子である第8代男爵ジョン・ラベル(1465年没)は、ランカスター派のヘンリー6世に仕え、ジョン・ラベルの息子である第9代男爵フランシス・ラベル(1488年没)はヨーク派の国王リチャード3世を支持。1485年に王位を争ったランカスター派とヨーク派の戦争「ボズワースの戦い(Battle of Bosworth)」で、ヨーク家が敗北したことによってラベル家の土地と邸宅は王室の没収されてしまいます。

ミンスター・ラベル・ホールは、次の2世紀にわたって数回所有者が変わったのち、最終的には1602年にコーク家によって購入され、彼の子孫であるトーマス・コーク(1759年没)は、1728年にミンスター・ラベルのラベル卿の称号を継承しました。しかし、1730年代にノーフォーク州ホルカムホールに新しい邸宅が建てられたことにより、ミンスター・ラベル・ホールは放棄されました。東西の建物と厨房は建築石材として解体され、1747年頃にはほとんどの建物が取り壊れました。現在はイングランド遺産団体(English Heritage)の管理する遺跡として公開されています。

現地案内板とイングリッシュ・ヘリテージのウェブサイトより要約

ミンスター・ラベル・ホール「見取り図」

こちらは、1934年にイギリスの国営機関によって測量された、ミンスター・ラベル・ホールの建物用途が色分けで示された見取り図です。図には時代ごとの増改築が色別に表されており、赤と茶色で塗られた部分は15世紀に再建された主要建物を示しています。実際に敷地内を歩くと、これらに対応する建物の基礎、壁、塔、堀の一部遺構を確認することができ、図と現地の対応関係から当時の建物配置や用途を実感することができます。なお、桃色や亜麻色で表示された箇所は、基礎部分や痕跡のみが残る構造と考えられます。

赤/桃:15世紀前半 茶/亜麻:15世紀後半 黄:16世紀 緑:18世紀 青:不明

早朝の静けさに包まれた「ミンスター・ラベル・ホール」

朝焼けのグラデーションに染まる空の下、柔らかな光に包まれた石造りの「ミンスター・ラベル・ホール」が浮かび上がる幻想的なシーンに出会えました。芝生には、石造りの建物の基礎部分が点在し、往時の面影を静かに伝えています。

川沿いに佇む南西の塔

まずは、15世紀後半に南西角に建てられた4階建ての「サウスウエスト・タワー(Southwest Tower)」へ。敷地全体を見渡す見張り塔として建てられ、地階は貯蔵庫、上階は詰所や宿直部屋、最上階は監視拠点として機能していたと考えられています。また、防御だけでなく、領主の権威を示す象徴的な役割も担っていたようです。

八角形の小塔には、最上階へと続く階段跡が残されており、その頂上には、平和の象徴とされる白い鳩が静かに佇んでいました。

屋敷の裏手で穏やかに流れている川は、グロスターシャー州・スノーズヒル付近を源に、ボートン・オン・ザ・ウォーター、バーフォード、ウィットニーを経由し、オックスフォード西部のニューブリッジで「テムズ川(River Thames)」に合流する「ウィンドラッシュ川(River Windrush)」。1553年に王室が行った調査では「カワカマス、ウナギ、チャブ、マス、ザリガニなどが豊富に生息している」と記されているそうです。

川沿いには、根元から幹が大きく湾曲し、うねるように川面へ伸びた後、水面から空へと枝を広げるユニークな樹がありました。その姿はまるで水辺で朝陽を浴びる三頭龍のよう。自然が偶然に生み出したフォルムが生き物のような生命感を宿し、おとぎの世界へと誘われるようでした。

西棟(West wing)

西棟(West Wing)は、南西塔から続く構造で、かつては使用人の部屋や客間、補助的な生活空間だったと考えられています。現在は建物の上部構造は失われていますが、基礎部分から1階に5つの部屋があったことが分かっており、北西側には井戸(Well)や貯水槽(Water tank)、水路などの跡も見られます。この一帯は後に、小規模な皮なめし工房として転用された可能性も指摘されています。

北西棟(Northwest building)

西棟から続く北西棟(Northwest building)は、家族や客人の寝室、書斎、暖炉のある居間などがあったという棟。この建物の東西の壁は今でも残っており、西側の壁を背後から見ると巨大な一枚壁のように見えます。

ソーラー(Solar)

北西棟の壁とホールの壁に挟まれた場所(建物中央の背後に樹木が見える)には、かつて応接室があり、その上階には「ソーラー(solar)」と呼ばれる主一家族の私室や居間があったとされます。

西棟に面する壁には立派な暖炉があったのがわかります。上階の部屋からは眼下を流れるウィンドラッシュ川とその先の景色が一望できたのでしょうね。

階段棟(Staircase)

大ホール西側の突き出るような形で建てられていた階段棟は基礎を残すのみですが、大ホールの上階に伸びる階段跡の一部を見ることができます。

北側の玄関(porch)

北側にある玄関から模様のある石畳を進むと大ホールへと続くポーチがあります。現在は修復方法の調査中ということで閉鎖されていましたが、アーチ型の天井、漆喰や装飾など外部から覗いて見ることができました。

チャペル(Chapel above)

大ホールの北側に隣接する建物の上部は、チャペル(礼拝堂)があった場所。地階部分には、大きな窓枠や暖炉跡、大ホールや外部に通じるアーチ型の出入口などの遺構が今も残されています。

大広間(Great Hall)

屋敷の中心となる大ホールは、宴会・会議・儀式・日常の食事が行われ場所。屋根は無いものの、約12mほどの高さがある外壁や窓枠が今もなお残っており、建物の東端に設置された階段跡も確認ができます。ここは主人の権威を示す空間でもあったようです。

大ホールを見上げると、澄んだ青空にいく筋ものひこうき雲が描かれていました。

厨房と厩舎(Kitchen & Stable)

屋敷の東棟には、火を扱うために母屋から少し離して建てられた厨房やパン焼き窯、ビール醸造室、使用人の食事室や作業部屋などの建物と厩舎(馬小屋)の建物があり、厨房は屋根付きの通路で母屋とつながっていたと考えられています。

中庭と邸宅への主要な出入口だったという厩舎と厨房の間の通路は、中世から近世にかけてのマナーハウスや荘園において、訪問者や住人の馬を収容・管理するための重要な機能空間だったとされています。

鳩小屋(Dovecote)

最後は、ミンスター・ラベル・ホールの柵を越えた北東側に建つ鳩小屋へ。15世紀に建てられた円錐屋根を持つ石造りの鳩小屋は、ほぼ完全な姿で残っていますが、内部に入ることはできないので外観のみの見学。内部には18列の無数の巣穴が並んでおり、当時は主に食用として約600羽の鳩を飼育していたそうです。(左上写真:現地案内板より引用)

聖ケンルム教会

ミンスター・ラベル・ホールに隣接する十字形の教会「聖ケンルム教会(St Kenelm’s Church)」は、12世紀に起源を持つ歴史ある建物で、今も現役のパリッシュ教会。ミンスター・ラベル・ホールの廃墟を背景に、静寂で荘厳な雰囲気をたたえています。

まだドアが開いていなかったので、中にはいることはできなかったのですが、南翼(礼拝堂側)にはウィリアム・ラベル(1430年代にマナーハウスを新しく建替えたあと、1450年頃にこの教会も再建した人物)の石棺型の墓があるそうです。

あとがき

ミンスター・ラベル・ホールの遺跡は、今回のコッツウォルズの旅で一番訪ねたかった場所だったので、朝陽が昇る静寂な空間に佇むその姿を目にした瞬間、胸の奥にそっと灯がともるような感動がありました。

悠久の時を刻んできたミンスター・ラベル・ホールの静けさと力強さ、鳥のさえずりが響き渡る澄んだ空、石壁に絡む風に包まれながら、かつてこの場所にあった祈りや人々の営みの残り香に、そっと触れるようなひとときでした。歴史の重みと自然の美しさが溶け合うこの場所は、旅の中でも特別な記憶として残り続けそうです。

いつかまたこの地を訪れることがあれば、ピクニックシートを広げて、草の匂いや風の音に身をゆだねてみたい――そんな想いが心に残りました。