2024年9月中旬、東京から青森へと車を走らせ、2泊4日のロードトリップに出かけました。今回の旅では、美しい自然と美味しい食べ物を堪能する中、太宰作品で描かれた風景を実際に訪れ、太宰治の生きた時代や感…
【青森・弘前】太宰治ゆかりの地③「太宰治まなびの家」を訪問 〜太宰治激浪の青春に触れる〜
目次
旧藤田家住宅「太宰治まなびの家」へGO!
青森県弘前市にある「旧藤田家住宅(津島家の親戚筋の家)」は、太宰治(津島修治)が官立弘前高等学校に通うため、1927年(昭和2年)4月から1930年3月の卒業まで下宿していたという家です。
JR「弘前駅」より徒歩約20分、弘南バス「弘前大学前」下車徒歩約10分のアクセスで、駐車場(無料)もあります。
旧藤田家住宅「太宰治まなびの家」入館料と開館時間
切妻屋根の木造二階建ての旧藤田家住宅は、2006年3月に約100m南東の現在地に移築され、弘前市指定有形文化財「太宰治まなびの家」として無料で一般公開されています。
入館料 :無料
開館時間:10:00〜16:00
休館日 :年末年始(12月29日~1月3日)
所在地 :青森県弘前市大字御幸町9-35
電話番号:0172-39-1134
1階間取り図
東西方向に通り土間が縦断し、北側に台所や女中部屋、南側に居間・客間・寝室など独立した居室があります。
大正時代は日本の住宅建築の変革期で、居間及び個室が現れ、「中廊下型平面」が成立し定着した。玄関から続く中廊下が住宅を分断し、片側に台所などのサービス部分を、片側に居住区を配列する形式で、旧藤田家住宅はその特徴をよく伝えている。棟札により大正10年の建築であることが知られるが、新しい建築材を使わず、碇ヶ関村長宅を移築したものと伝えられている。(弘前市HPより引用)
玄関
玄関を開けると芥川を真似るポーズで修治くんが出迎えてくれました。背後の対照的な表情の写真がとってもキュート♡ ちなみに藤田家における太宰治の呼び名は、くん呼びではなく「修治さん」だったそうです。
8畳の奥座敷
8畳の奥座敷 床の間には、この部屋で撮影された写真が飾られていました。写真の横に「太宰の席に座ってみませんか?」と書かれていたので、さっそく座ってみましたよ☺︎
神棚のある常居・納戸
「まなびはこの場所で」と書かれた机の上には、太宰治が高校生の頃に執筆したという4作品が並んでいて、自由に読めるようになっています。残念ながらゆっくりしている時間はなかったのでパラパラと捲っただけ…。
太宰治の貴重な落書きノート
ショーケースの中には画才もあったのではと思うような絵や文字の、落書きされたノートも展示されていました。my fatherとあるので父の顔を描いていたのでしょうか。授業中に単に父親のことを思い出すことはあっても、文字と絵にして綴るとは…何か超えるべきものとか…父に対する相当な想いがあったのかな…。色々と想像を膨らませてくれる貴重な落書きノートでした。
台所と井戸のある土間
こちらは北東側の台所と土間。外ではなく土間に井戸があったんですね。台所の窓際には高校時代の写真や小説の小冊子なども展示。中高を通して太宰治が書き記した習作は200篇にも及ぶといいます。
太宰治の同人誌
高校2年生になった太宰治は、一時遠ざかっていた創作活動にのめり込み5月に同人誌「細胞文藝」を創刊。新聞雑誌部にも加わり「弘高新聞」に作品を発表。「校友会雑誌」の編集等にも力を注いだといいます。
細胞文藝創刊号の表紙には「俺達ハ細胞ノ持ツ不氣味ナ神秘性ヲ愛スル」という、思わず中を覗いてみたくなる言葉。この表紙のデザインから編集に至るまで太宰ひとりで制作し、書店への売り込みもほとんど自分でやっていたのだとか。(売行きは悪く4号で廃刊)
2階間取り図
1階を一通り見学したあとは、いよいよ太宰治が高校生活で3年間を過ごした部屋がある2階へ…。
2階へ上がる急階段
「女中部屋」だったという十畳の和室に階段がありました。こちらにスタッフさんも常駐しているようでひと声かけて2階にあがります。
2階から見る通り土間
階段はかなりの急階段で踏板が狭いので、手すりにつかまって慎重に上ります。
吹き抜けの2階から1階の通り土間を覗いてみました。通り土間がとても広々とした空間なのが分かります。
写真や資料の展示室
階段前の8畳間は藤田家の長男・本太郎の部屋とありました。こちらには太宰治の高校生時分のレアな写真や資料を展示しています。
遊里文学や芥川龍之介・泉鏡花に傾倒する中、敬愛する芥川が1927年7月24日自殺を図ったことで猛烈な衝撃を受けた太宰治は、学業を放棄し、義太夫を習い、花柳界に出入りするようになり、15歳の芸妓・小山初代と知り合い、1929年秋頃からは左翼思想に傾斜。その後12月10日深夜に自室でカルモチン大量摂取による自殺を図る等々、波乱の高校生活を送った太宰治の激浪の青春に触れ、自らも様々な感情が溢れてきます。
※太宰治は翌年1930年11月にもカルモチンを大量摂取。合わせて5回以上の自殺未遂を繰り返している。
太宰治のレア写真がいっぱい
歳の近い藤田家の兄弟とは仲が良く、写真が趣味の兄・藤田本太郎さんのモデルをよくやっていたのだそうで、部屋にはたくさんの写真が飾られており、18歳頃の太宰治のあどけない写真なども見られました。
太宰治が使用した部屋
襖で区切られた奧の6畳間が太宰治の部屋。鴨居にはそれらしい制帽や学ラン、マントなどがかかっており、柱には太宰治が書いたという落書きが残されています。
室内の出窓と縁側
出窓前には当時使用していた机や茶箪笥がそのまま残されています。まだ9月半ばなのに窓の外の木が紅葉しはじめていました。
角部屋の明るい縁側に置かれた椅子と机。太宰治がここに暮らしていたという雰囲気をそのまま感じることができます。
太宰治まなびの家
青森県弘前市大字御幸町9-35
電話番号:0172-39-1134
あとがき
青森県弘前市にある「太宰治まなびの家」は、青森旅行の直前にガイドブックで知り、無料施設ということでサクッと軽く見学する程度に思っていたのですが…、もう見どころが満載でかなりエキサイトしました。こんな素晴らしい場所をなぜ知らなかっただろう…そしてなぜ無料?常駐の方からとても親切に説明していただけまして、無料なのが申し訳ない気分にもなりましたが、今回訪問することができ本当に良かった!感謝感謝です^人^ 他の見学者もいなかったのでとても静かに落ち着いた雰囲気の中で見学することができました。
太宰治の生家「斜陽館」や「新座敷」だけでなく、弘前市の「太宰まなびの家」は太宰ファンなら絶対行くべき場所!あまり目にしたことのない太宰治のレアな写真やノート、当時使用していた机などなど、太宰治の激浪の青春に触れることができます。
今回は30分の滞在時間しか予定していなかったので、部屋の様子や資料などは写真に収めて帰宅後ゆっくり見ることにしましたが、あとで見逃してしまった部分に気づいたりして…もっと時間をとっておけばよかったと後悔。高校生時分に書いた小説なども読んでみたかったです。弘前市には他にもたくさんの見所があることを知ったので、そのうちまた弘前を訪問して「太宰まなびの家」も再び伺いたいと思います✨️