2024年9月中旬、東京から青森へと車を走らせ、2泊4日のロードトリップに出かけました。今回の旅では、美しい自然と美味しい食べ物を堪能する中、太宰作品で描かれた風景を実際に訪れ、太宰治の生きた時代や感…
【青森・五所川原】太宰治ゆかりの地②「太宰治疎開の家」を訪問 〜太宰治の現存する書斎〜
目次
旧津島家新座敷「太宰治疎開の家」へGO!
旧津島家新座敷は、太宰治(本名:津島修治)がまだ少年だった1922年(大正11年)、長兄・文治が県知事となり結婚したことを機に父・津島源右衛門が建てた跡継ぎの新居(離れ)。また、この離れは太宰治が36歳のとき、東京・甲府の空襲から逃れるため故郷に疎開し、妻子と共に1945年(昭和20年)7月末から1946年(昭和21年)11月12日までの1年4ヶ月暮らしたという場所で、作家になってからの太宰の居宅として唯一現存する建物です。
旧津島家新座敷「太宰治疎開の家」は、津軽鉄道「金木駅」から徒歩約5分のアクセス。金木駅と太宰記念館「斜陽館」のほぼ中間地点に位置し、斜陽館からは徒歩で4分ほど、専用駐車場(3台)もあります。
「旧津島家新座敷」入館料ほか
津島家は太宰治が亡くなった1948年(昭和23年)に母屋の斜陽館を手放し、新座敷は母屋から90m先の東側に曳家移築されたとあります。それ以降、公開されることのなかった新座敷ですが、2007年(平成19年)約60年もの時を経て「太宰治疎開の家」として一般公開されています。
入口で入館料を支払い、同じタイミングで入館した3人の女性グループと一緒に説明を聞いたのち、靴を脱いで館内を見学しました。ちょうど2組の見学者が出ていったところだったのでゆっくり観覧することができました☺︎
入館料 :500円(小中学生250円)
開館時間:9:00-17:00
定休日 :第1・3 ・5水曜日(臨時休業あり)
所在地 :青森県五所川原市金木町朝日山317-9
電話番号:0173-52-3063
津島家母屋と新座敷(離れ)の位置
下図は母屋から約90m東に曳家された新座敷の位置を示す図です。当時は金木銀行周辺から新座敷周辺の黄色で囲まれた一帯が津島家の敷地だったというから驚きです。太宰治の父が「金木の殿様」と呼ばれていたのも納得ですね。
新座敷(離れ)の歴史
1907年(明治40年)太宰治の父・源右衛門が、店舗兼住宅の大邸宅(斜陽館)を竣工。2年後太宰治誕生。
1922年(大正11年)父・源右衛門が長兄・文治の結婚を機に離れの新座敷を建築。
1923年(大正12年)源右衛門急逝により、文治夫妻が家長となり母屋に移る。
1942年(昭和17年)太宰の母・夕子重篤にて新座敷が病室となる。この時の事は小説「故郷」に記述。
1945年(昭和20年)終戦直前の太宰一家が新座敷に疎開。(昭和20年7月末〜昭和21年11月12日)
1948年(昭和23年)太宰治逝去の6月、地主制度廃止により文治が母屋を売却。新座敷を現在地へ曳家。
1964年(昭和39年)文治が新座敷を含む現在地を売却。昭和50年に再び所有者が変わる。
2007年(平成19年)私設記念館「旧津島家新座敷・太宰治疎開の家」として一般公開開始。
新座敷 間取図
この数寄屋造りの新座敷は、居間・書斎・寝室など4つの和室と洋室からなる延べ床面積約150㎡の居宅。斜陽館の裏の通りに出る玄関が北側にあり、太宰一家が出入りするほか、疎開中に親しくなった文学青年たちが訪ねてくることも多くあったのだそう。当時の思い出話については「太宰治語録」など、門弟となった青年の手記に残されています。
疎開当時の弟子述懐
初めて大地主の家を訪ねた日、太宰さんは、細い長い指で長髪をかき上げ、「あがりたまえ」と言った。
太宰治疎開の家「旧津島家新座敷」の入口
こちらは現在公開されている「太宰治疎開の家」の入口(新座敷 間取図の赤丸部分)。
曳家されるまでは渡り廊下で母屋とつながっており、疎開中の食事は、母屋の常居で兄夫婦と一緒にとるため、太宰一家はここから渡り廊下を使って行き来していたそうです。
太宰治が母と対面した部屋
新座敷の入口近くの十畳間は、小説「故郷」の中で「母は離れの十畳間に寝ていた。大きいベッドの上に、枯れた草のようにやつれて…」と、34歳の太宰治が70歳の病床の母と対面したという部屋。また多くの人が訪ねてきては酒を交わし、文学について話し合った部屋でもあるそうです。
太宰治の書斎
十畳間の先に太宰治の仕事部屋だった書斎がありました。新座敷に暮らしていた1年4ヶ月の間に23作品を書き上げたといいます。小説「親友交歓」では、この部屋に親友を招き入れ、押し入れからウィスキーを取り出すシーンが描かれています。
▼疎開中の著作
小説:薄明、パンドラの匣、庭、親といふ二字、嘘、貨幣、十五年間、やんぬる哉、苦悩の年鑑、チャンス、冬の花火、未帰還の友に、春の枯葉、たづねびと、親友交歓、トカトントン、雀、男女同権
随想:政治家と家庭、返事、津軽地方とチエホフ、海、同じ星
津軽塗の卓と火鉢
津軽塗の卓と火鉢を据えた太宰治の書斎に座ってみました。文才に溢れる良い文章が書けますように!単にファンだということもあるけれど少なからず文才にあやかりたいという想いもあるのです…☺︎
余談ですが…太宰ファンという又吉さんは、斜陽館と新座敷を訪ねたあとに芥川賞に受賞したとのこと。ちなみに大阪から上京してきて最初に住んだのが太宰治家の敷地跡に建った三鷹のアパートのだったとか!素敵なストーリーですね✨️
優しい風と共に時空を超えた空間
太宰治はここでたくさんの名作を執筆していたのですね…しみじみ思っているとチリンチリンと玄関から書斎につながる廊下から風鈴の音が聞こえてきました。視線を向けると止んで、視線を外すとまた軽やかな音色と共に優しい風が吹き抜けていく….何度かそんなことが繰り返され、太宰さんが話しかけてるような気分になり、そのあまのじゃくな反応に思わず笑みがこぼれました。
近づいてみると風鈴の短冊には「われ 山にむかひて 目を挙ぐ」という死の直前に書いた「桜桃」の冒頭文が書かれていました。太宰治は聖書を真剣に読んだ人だったそうで、短編小説には聖書からの引用も多く、この一文は「わが助けは どこから来るであろうか」と続く旧約聖書 詩篇121篇1節からの引用です。
太宰作品に登場する舞台や太宰治と家族の知られざる逸話など、部屋のそこかしこに散りばめられた言葉に触れ、優しい風と共に時空を超えた素敵な空間に誘われたひとときでした。
おしゃれな組木床のサンルーム
十畳間と書斎前の廊下の先にあるサンルームは、たくさんの光が差し込み爽やかな風が吹き込む気持ちの良い場所!案内によると当時は石垣の上に建っていて、7段の階段を降りて中庭に出たとあり、読書や執筆の傍ら畑の手伝いをするなど、のんびり穏やかな生活を送っていたようです。
明るい洋室
こちらはサンルームに続く広めの明るい洋室。長く義絶されていた太宰治が帰郷し病床の母を見舞った際、隠れて涙をこらえたという部屋です。
兄弟・姪と共に撮影された貴重な写真
洋室の棚の上には、ソファに座って撮影された兄弟3人と姪2人(左端から太宰治、長兄・文治の長女と次女、三兄・圭治、七男・礼治)の写真が飾られていました。(撮影されたのは新座敷の建築から3年後の1925年正月。1923年父の急死により長兄・文治が主人となっており、太宰治は16歳。)
この撮影から4年後の1929年(昭和4年)1月5日、弟・礼治が手術後の敗血症で突如逝去し、その1年後の1930年(昭和5年)6月21日、少年時代の太宰の憧れだったという三兄・圭治が肺結核のため逝去(享年27歳)。慕われていた末弟と、慕っていた三兄が立て続けに亡くなってしまった喪失感は耐え難いものだったに違いなく…太宰少年の心に大きな影を落としたのかもしれません。もしもお二人が生きていたなら、太宰治の人生ももう少し違ったものになっていたかも…と色々な想いが交錯しました。
写真は、太宰治を養育した叔母きゑさんのお孫さんが所蔵していたという貴重な1枚です。
洋室・サンルームと寝室・居間の間の廊下
洋室・サンルーム・寝室・居間をスムーズに行き来できる広めの廊下。写真正面に見える寝室の襖戸は当時のままのものだそうです。
疎開中の一家の寝室
疎開中の太宰一家が寝室として使ったという4畳半ほどの小さな和室。隣の和室は、妻・長女・長男の居間。これだけ広い邸宅なのに寝室が一番小さいなんて…、ちょっとほっこりした気持ちになります。
今官一とのツーショット写真ほか
今官一(こんかんいち)は、太宰治の文壇デビューを助けた同年・同郷の直木賞作家。太宰治は、今官一の誘いで同人誌「海豹」に加わり、創刊号に「魚服記」を発表するとたちまち注目を集めたといいます。
唯一無二の同郷作家である今官一は、1942年(昭和17年)12月に太宰治の勧めで同じ三鷹(現上連雀8丁目)に移住。太宰治の才能を認め良き理解者でもあった今官一は、友でありまた互いの文学を高め合える良きライバルだったそうです。
1948年(昭和23年)6月13日に玉川上水に入水した太宰治の死後に営まれている「桜桃忌」(遺体が発見された日そして誕生日と同じ6月19日)は、今官一によって名付けられ、太宰の死後も太宰文学の正当な評価を求める姿勢を貫き、彼の文学を愛し続け語り続けたといいます。(著書に「わが友太宰治」等あり)
約1時間の短い時間でしたが太宰治がたくさんの名作を残した書斎に座ることができ感無量です。帰り際にふと「太宰列車」の案内が目に止まりました。津軽鉄道津軽五所川原から1日約5往復運行し、太宰治二つの帰郷「帰去来」と「故郷」をアテンダントが朗読するというイベント告知で、9月30日まで開催中とのこと…これは行くしかない!ということで、急遽最終日の旅程を変更し「太宰列車」に乗車することにしました♪
旧津島家新座敷「太宰治疎開の家」
青森県五所川原市金木町朝日山317-9
0173-52-3063
▼「太宰列車」のブログ記事は下記リンクより御覧ください☆