太宰治の生家「斜陽館」へGO! 2024年9月の連休に東京から青森へロードトリップすることになり、以前から訪問したいと思っていた太宰治の生家「斜陽館」を訪ねました。斜陽館は青森県五所川原市の金木町中心…
【青森・津軽】2024年爽秋 〜太宰治生誕の地と太宰文学ゆかりの地を巡る旅のまとめ〜
2024年9月中旬、東京から青森へと車を走らせ、2泊4日のロードトリップに出かけました。今回の旅では、美しい自然と美味しい食べ物を堪能する中、太宰作品で描かれた風景を実際に訪れ、太宰治の生きた時代や感情に思いを馳せる貴重な体験となりました。このブログ記事では、青森の雄大な自然と太宰治の文学が織りなす世界を写真と共に綴ります。
目次
太宰治の生家「斜陽館」
まずは五所川原市金木町にある太宰治記念館「斜陽館」を訪問しました。大地主であった太宰治の父・津島源右衛門が建築した大豪邸で、太宰治が幼少期を過ごした生家です。
▼「斜陽館」についてのブログ記事は下記リンクより御覧ください☆
太宰治記念館「斜陽館」
青森県五所川原市金木町朝日山412-1
0173-53-2020
旧津島家新座敷「太宰治 疎開の家」
斜陽館のあとは歩いて約4分ほどの場所にある旧津島家新座敷「太宰治 疎開の家」を訪問。旧津島家新座敷は、太宰治の兄・文治が県知事となり結婚したことを機に父・津島源右衛門が建てた跡継ぎの新居(新座敷と呼ばれた離れ)で、太宰治が36歳のときに妻子と共に疎開したという邸宅です。1948年に母屋を売却した際に約90m東の現在地に曳家され、作家になってからの太宰の居宅として唯一現存する建物と言われています。
▼「太宰治 疎開の家」のブログ記事は下記リンクより御覧ください☆
旧津島家新座敷「太宰治疎開の家」
青森県五所川原市金木町朝日山317-9
0173-52-3063
太宰少年が遊んだ「芦野公園」
太宰治疎開の家を訪ねた後は、車で5分ほど北に向かい太宰が少年の頃よく遊んだという「芦野公園」を散策。
最寄駅の津軽鉄道「芦野公園駅」は、この広大な県立自然公園内を通っています。「日本のさくら名所100選」にも選ばれており、春には桜が咲き誇り、夏には爽快な新緑の中を走り抜けるなど、四季折々の景色が楽しめるようです。
赤い屋根の喫茶店「駅舎」
赤い屋根の喫茶店「駅舎」は、津軽鉄道・芦野公園旧駅舎を活用したという喫茶店で、太宰治の小説「津軽」にも登場する情緒あふれる駅舎。2014年12月に登録有形文化財に登録されています。時間があれば、ゆったりとしたひとときを過ごすのも良いですね。
赤い屋根の喫茶店「駅舎」
青森県五所川原市金木町芦野84-171
0173-52-3398
太宰治の像と文学碑
芦野湖方面に歩いていくと、桜松橋の手前に1965年建立の太宰治文学碑と、生誕100年を記念した2009年建立の太宰治銅像があります。
金色の不死鳥が施された文学碑には、太宰治が好んだというヴェルレーヌの「撰ばれてあることの 恍惚と不安と 二つわれにあり」という詩が刻まれており、文学碑の近くに立っている35歳の頃の太宰治像は、生家・斜陽館の方向を眺めているそうです。
藤枝溜池「芦野湖」
太宰治像の背後に見える「芦野湖(正式名称:藤枝溜池)」は、1701年に完成したという灌漑用水用の溜池。 湖畔にはオートキャンプ場や児童動物園、ボート乗り場などもあります。
平日の園内はひっそりと静かで、切ないような物悲しいような…、なんとも言えない雰囲気が漂っていてそれがまた良い感じです。
芦野公園
五所川原市金木町芦野84-170
小説「津軽」の津軽半島をドライブ
金木町散策後は、小説「津軽」に出てくるいくつかのスポットに立ち寄りながら太宰治が旅した津軽半島をドライブ!今回の旅では津軽半島を巡り訪ねることに心を躍らせていました。
太宰治の名作「津軽」は、出版社からの依頼を受けて34歳の太宰治が取材旅行(1944年5月〜6月)に出かけたときのことを綴った小説。津軽半島を旅する前に読みたい1冊です。
▼「津軽半島ドライブ」のブログ記事は下記リンクより御覧ください☆
弘前市内の太宰治ゆかりのスポットを訪問
青森旅行の最終日、弘前市内観光と共に太宰治ゆかりのスポットを巡りました。
激浪の青春を送った「太宰治まなびの家」
太宰治の「太宰治まなびの家」は、太宰治が官立弘前高等学校に通うため、1927年(昭和2年)4月から1930年3月の卒業まで下宿していたという家。太宰治のレアな写真やノート、当時使用していた机や落書きなどなど、太宰治の激浪の青春に触れることができます。
▼「太宰治まなびの家」のブログ記事は下記リンクより御覧ください☆
太宰治まなびの家
青森県弘前市大字御幸町9-35
電話番号:0172-39-1134
太宰治の遺品等が展示されている「弘前市立郷土文学館」
追手門広場にある「弘前市立郷土文学館」は、弘前にゆかりのある文学者を紹介している展示館で、太宰治の原稿や著書遺品などが常設展示されています(開館時間:9時〜17時、入館料:大人100円、小中学生50円)。
また同じ敷地内には1931年まで市立図書館として利用されていたというルネッサンス様式の旧弘前市立図書館(1906年・明治39年築)があり、こちらは入場無料。いずれもまだ開館していない早朝の訪問だったので今回は撮影のみです。
弘前市立郷土文学館
青森県弘前市下白銀町2-1追手門広場内
0172-37-5505
下乗橋から眺める「弘前城」
追手門通りを渡り三の丸南門(追手門)から弘前城へ向かいました。平日の朝でほとんど人影のないひっそりとした弘前公園の広場をゆっくり歩き、弘前城が綺麗に眺められるという下乗橋に着いたのですが…石垣の修復工事中で天守が曳屋されており、残念ながら櫓の上部しか見ることができませんでした。工事工程に天守の曳き戻しは2026年とあります。
あれは春の夕暮れだつたと記憶しているが、弘前高等学校の文科生だつた私は、ひとりで弘前城を訪れ、お城の広場の一隅に立つて、岩木山を眺望したとき、ふと脚下に、夢の町がひつそりと展開しているのに気がつき、ぞつとした事がある。私はそれまで、この弘前城を、弘前のまちのはづれに孤立してゐるものだとばかり思つてゐたのだ。けれども、見よ、お城のすぐ下に、私のいままで見た事もない古雅な町が、何百年も昔のままの姿で小さい軒を並べ、息をひそめてひつそりうずくまってゐたのだ。ああ、こんなところにも町があつた。年少の私は夢を見るような気持ちで思わず深い溜息をもらしたのである。(小説「津軽」より)
太宰治が通った「土手の珈琲屋 万茶ン」
弘前市土手町にある「土手の珈琲屋 万茶ン」は、太宰治がよく通ったという1929年創業の喫茶店ですが、2023年12月より休業中とのことで店内に入れず残念…。営業再開の際は、各種メディアなどを通じてお知らせするという張り紙がありました。
土手の珈琲屋 万茶ン
青森県弘前市大字土手町36-6
津軽鉄道「太宰列車」
「太宰列車」は、津軽鉄道が毎年6月から9月頃に開催する津軽鉄道のイベント列車。「太宰治 疎開の家」で偶然目にした案内を見て、最終日に行く予定だった奥入瀬観光を急遽変更!金木駅から五所川原駅を折り返す「太宰列車」に乗車しました。
▼津軽鉄道「太宰列車」のブログ記事は下記リンクより御覧ください☆
太宰治の兄夫婦とピクニックした「鹿ノ子滝」
金木駅で太宰列車を降りた後は、車で県道2号(屏風山内真部線)沿いの五所川原エリアにある落差約12mの「鹿ノ子滝」へ行ってみました。太宰治は竜飛岬へ行った数日後に兄・文治夫婦たちとピクニックに出かけており、この鹿ノ子滝はビールを片手に昔の思い出話に花を咲かせたという場所です。道路沿いに草木が繁っていたため滝全体は見えませんでしたが、木々の合間から滝の一部を見ることができます。
水の落ちる音が、次第に高く聞えて来た。溜池の端に、鹿の子滝といふ、この地方の名所がある。ほどなく、その五丈ばかりの細い滝が、私たちの脚下に見えた。つまり私たちは、荘右衛門沢の縁に沿うた幅一尺くらゐの心細い小路を歩いてゐるのであつて、右手はすぐ屏風を立てたやうな山、左手は足もとから断崖になつてゐて、その谷底に滝壺がいかにも深さうな青い色でとぐろを巻いてゐるのである。(小説「津軽」より)
あとがき
友人の勧めで太宰治の本を手にしたのは18のとき。初めて読んだ小説が「人間失格」で、暗くどよんとした気分になったのを覚えています。
昨年の暮れ、三鷹の跨線橋が取り壊されるというので、晩年を三鷹で過ごした太宰治ゆかりの場所を訪ねたのをきっかけに再び太宰文学に没入しました。ゆっくり咀嚼するように読み返してみると、たぶん若い頃にはピンときていなかった言葉が、今となって心に響く部分が多々とあり、太宰治という人をもっと知りたいと思ったのが今回の旅のモチベーションです。
斜陽館で幼い太宰治の心の風景を想像し、まなびの家で激浪の青春に触れ、太宰治の複雑で繊細な感性が育まれた心の片鱗を垣間見ることができました。また、小説「津軽」を読みつつゆかりの地を訪ね、言葉のひとつひとつと重なり合う津軽の雄大な自然を前に、故郷を深く思っていた彼の心の奥底に触れられたようにも感じます。
決して破天荒なだけではなく、自然を愛し、豊かな人間性と深い心を持ち合わせていた太宰治。この旅を通じて、文学作品だけでは知り得ない、人間味溢れる太宰治に出会うことができ、津軽の風土と太宰文学に紡がれた美しい旅の思い出をしっかり心に刻みました。