【熊本・阿蘇】太古の神話が息づくはじまりの聖地「幣立神宮」を訪ねて

悠久の祈りが息づく「幣立神宮」を参拝

熊本県高森町の上色見熊野座神社を参拝したあと、国道265号線を南下し、熊本県山都町にある「幣立神宮(へいたてじんぐう)」を訪ねました。鳥居近くの県道215号線沿いに駐車場を完備しており、十分なスペースがあります。

阿蘇の雄大なエネルギーが凝縮される「九州のへそ」とも称される地に、ひっそりと佇む幣立神宮。約15,000年の歴史を持つともいわれる日本最古級の神社です。ここには、人種や国境の垣根を超え、世界人類の祖神とされる「五色人(ごしきじん:赤・白・黄・黒・青)」が一同に会し、和合を祈ったという壮大な伝承が息づいています。特定の時代や枠組みを超えた、全人類の魂の根源ともいえるこの地には、どのような空気が流れているのでしょうか。いにしえの祈りが今なお息づく、その静かな杜へと足を踏み入れました。

神域への入り口を告げる木造の鳥居と深緑の参道

質実剛健な木造の鳥居をくぐると、目の前には150段ほど続く急勾配の石段が、真っ直ぐに伸びています。頭上を覆い尽くす巨木の枝葉は、まるで緑のトンネルのよう。霧に包まれた深い杜の静寂が、この世ならぬ神域への入り口であることを感じさせます。参道の両脇に佇む灯籠に導かれながら、一段ずつ踏みしめ、祈りの場へと歩みを進めました。

幣立神宮の由緒

「大日本史に見える知保の高千穂嶺が 東宮の所在地である筑紫の屋根の伝承のように 神殿に落ちる雨は東西の海に注いで地球を包むので 高天原日の宮の伝承を持つ国始めの尊宮である。古来天神地祇を祀った神籬は、日本一の巨桧として現存する。神武天皇のご発輦の原点で 皇孫建磐龍命は勅令によって、天神地祇を祭られた歴史がある。なお、祭神は神漏岐命・神漏美命 及び 大宇宙大和神・天之御中主神・天照大神など 最高の神をお祭りしてある。」

「高天原(たかまがはら)」とは、日本神話で「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」をはじめとする「天津神(アマツカミ)」が住まう天上界のこと。現存する日本最古の歴史書「古事記」の冒頭に登場し、地上界が造られる前に存在した神々の世界とされます。神武天皇が東征に先立ち、世界平和を祈願された発祥の地とも伝えられ、古来より「日本一の巨桧」を御神木として仰ぐその風格は、まさに地球のへそと呼ぶにふさわしい重みを湛えています。

参道の途中には、黄金の文字が輝く「高天原」の石標が姿を現し、ここが天界と地上の結び目であることを静かに物語っています。その傍らには、石の土台に木造の火袋、端正な銅板屋根を載せた独特の意匠をもつ五龍神の灯籠が並び、神域の空気を一層引き締めています。階段をあがって左手にある手水舎は、自然石をくり抜いたもの。深い杜の静寂に溶け込み、訪れる者の心をそっと整えてくれるかのようでした。

すべてのはじまりが息づく神域「幣立神宮・本殿」

階段をのぼると日本国旗が掲げられた幣立神宮の本殿が現れます。幣立神宮の別名「日宮(ひのみや)」は、太陽の神、そして宇宙の根源を祀る場所という意味が込められており、日本神話(古事記・日本書紀)に登場する神々よりもさらに古い、「万物の親神」が最初に降臨した地とも伝えられています。

主祭神として祀られているのは、神漏岐命(カムロギノミコト)、神漏美命(カムロミノミコト)、大宇宙大和神(オオトノチオオカミ)、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、そして天照大神(アマテラスオオミカミ)の五柱。日本神話において、天地開闢の際に現れる「神代七代」の初代神・オオトノチオオカミ、「天神七代」の初代神・アメノミナカヌシノカミ、そして「地神五代」の初代神・アマテラスオオミカミ、それぞれの時代のはじまりを司る、尊い神々が並びます。そして、それらすべての系譜をさらに遡った頂点に位置するのが、カムロギ(男神)とカムロミ(女神)。あらゆる神々の親にあたる「根源の祖神(神霊)」です。

幣立神宮で大切に伝えられてきたこの二柱は、時代や世代を超えて、すべての命を見守り続けるはるかなご先祖様ともいえるのかもしれません。

日宮の中心に祀られる「天神木」

本殿の右手、伊勢の内宮の奥に祀られている日宮の「天神木(てんじんぼく)」は、万物の親神が宇宙から降臨した際の「依り代(神が宿る目印)」とされています。幣立神宮の由緒によれば、その歴史は1万5000年にわたり命脈を保ってきたという壮大なスケールで、代々植え継がれてきたといいます。

現在の姿はその10代目にあたる天神木ですが、1991年9月27日の大型台風によって幹が折れてしまったとのこと。折れた部分は本殿を直撃することなく、覆いかぶさり守るかのような形で止まっていたそうです。

天神木の高千穂と首っ玉

その身代わりとなった天神木の上部は「高千穂」と命名され、すぐ近くに植えられていました。木の柵に守られたその幹からは瑞々しい緑の葉が芽吹き、今もなお力強く生き続けていることが分かります。

また、10代目天神木の横には「天神木の首っ玉」と書かれた案内板が掲げられ、悠久の時を経て一つに溶け合った9代目と10代目の鏡コブを「命の核」として納めた小さな社が佇んでいます。天災の記憶を刻みつつも、命を繋ぎながら静かに境内を見守るその姿は、幣立神宮の物語を象徴する大切な存在となっていました。

幣立に座す伊勢の内宮と外宮

幣立神宮の境内に鎮座する「伊勢の内宮・外宮」は、本家と同じ天照大御神と豊受大御神を祀る伊勢神宮の分霊。伊勢の神々もまた、この「地球のへそ」から分かれたという伝承があり、「高天原」の石標のほど近くに内宮と外宮が並び立つ光景は、日本神話の系譜がこの地に深く重なり合っているかのような象徴性を感じさせます。

本殿脇の静かな授与所

本殿の左手には、檜が香る静かな授与所があり、箱にお金を納めてお守りを頂戴しました。写真の御朱印とおみくじは、本殿の賽銭箱前に設置されていたものです。

高天原の神域を護る「水天宮と龍神」

授与所の背後には「水天宮」があり、「天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)」や「日子八井命(ヒコヤイノミコト)」など、水にゆかりのある神々が祀られています。案内板によると、この神殿に落ちる天水は、その前後によって東西へと分かれて流れていくのだとか。こうした雄大な世界観から、この地は「高天原」とも称され、別名「筑紫の屋根」と呼ばれているそうです。

鳥居の欄間に刻まれているのは、水の恵みを安定させ、この場を清らかな静寂で満たす「鎮守」の龍神様。その穏やかな威厳に見守られながら、さらに奥へと足を進めます。

杉木立に導かれる神秘の小径

水天宮に導かれるように現れるのは、「東御手洗(ひがしみたらい)」へと続く鳥居です。階段を下り、分かれ道を右へ進むと、「双子杉」や「五百枝裏杉(いおえうらすぎ)」が天を衝くようにそびえ立ち、その先に東御手洗が静かに姿を現します。足元はぬかるみ、道は次第に野趣を帯びてくるため、敷石を選びながら、滑りやすい木の根に気をつけて、一歩ずつ慎重に進みました。

傘を差しながらのため思うように撮影できませんでしたが、目の前に広がる深い緑の杜と、空から静かに舞い降りる小雨が織りなす光景は、言葉にならないほどの美しさでした。

水の源を司る龍神さま

本殿裏の鳥居から10分ほど歩を進め、ようやく「東御手洗」に到着。周囲を見渡すと、そこには時が止まったかのような、素朴でワイルドな情景が広がっていました。

鳥居の前でひときわ目を引いたのは、水天宮の雲龍とは異なり、腹部に力強い大きな渦巻きを宿した龍神様です。この渦は、宇宙のはじまりや地中からエネルギーが湧き上がる様を象徴する「命の源」とされているのだとか。地球のへそからエネルギーを巻き上げ、新たな命を生み出すその力が、この渦に込められているのかもしれません。水天宮の龍が「水の恵み」を守る存在だとすれば、この東水神宮の龍は「水の源」を司る存在。静と動のふたつの龍神が、この地の清らかな循環を支えているように感じられました。

深緑の杜に佇む「東水神宮」

龍神さまの鳥居の奥には、聖域全体を守護するかのように「東水神宮」が静かに佇んでいます。東御手洗の由緒書きによると、この地は古来より八大龍王が鎮まる場所とされ、御祭神として「北辰妙見の大神(ホクシンミョウケンノオオカミ)」が祀られています。また、神代の昔に「天の村雲姫(アメノムラクモノミコト)」が水徳を授かったという伝説が残る霊地でもあり、かつては大嘗祭の御神米を育てる「主基田(すきでん)」がこの地から移されたと記されています。

陰陽が溶け合う二条の源泉

社の傍らには、ふたすじの清らかな水が竹筒から静かに注がれていました。注連縄が施された岩穴から湧き出しているのは、陰のエネルギーを宿す「女龍」の源泉。一方、社に沿って引かれているのは、陽の力を司る「男龍」の源泉です。性質の異なる二条の流れがひとつに合わさることで、陰陽の調和がもたらされ、「不老長寿の霊水」となるのだとか。この湧き水は飲用も可能で、かつて秦の始皇帝が不老不死の霊薬として、この神水を求めたという伝説も伝えられています。

龍王が鎮まる神秘の「水玉池」

東水神宮の傍らには、八大龍王が鎮まるとされる「水玉池(みたまいけ)」が静かに横たわり、緑の藻やウキクサに覆われた水面のほとりには、苔むした小さな祠がひっそりと佇んでいます。東御手洗の水を引く「悠紀田(ゆきでん)」と呼ばれる神田には、収穫された稲がはぜ掛けされており、その姿は精霊馬や龍神を思わせるようで、神聖な雰囲気を漂わせていました。

参道が交差する場所に立つ一本の示道標は、左の道が聖徳堂へと続くことを示していましたが、敷石がなく足元が悪かったため、今回は再び境内へと続く山道を上ることに。静寂の中に脈打つ生命の源流に触れ、心洗われる思いで聖域を後にしました。

天へと昇る奇跡の龍神木

裏鳥居から再び境内に入ると、奥の木陰に童地蔵の姿が目に入りました。そのやわらかな微笑みに、思わず心がほどけます。ふと傍らに目をやると、一本の枯木が目に留まり、息をのみました。そこには、天へと昇る龍の姿があったのです。皮を脱ぎ捨て、剥き出しになった木肌は、まるで強靭な筋肉が波打つかのよう。長い年月、雨風に削られ、余計なものがすべて削ぎ落とされたその果てに、幹の断面や枝のうねりが、咆哮する昇り龍のような姿を浮かび上がらせています。

幣立神宮では水神や龍神など、さまざまな龍の造形を目にしましたが、この木は、この地に宿るエネルギーそのものが、目に見えるかたちとなって現れたもののように感じられてなりません。奇しくも今年は、60年に一度巡る「甲辰」。草木の成長を意味する「甲」と、龍の躍動を象徴する「辰」が重なり、努力が実を結び、大きく飛躍する力が満ちる年といわれています。そんな年に幣立神宮を訪れることができ、そしてこの龍神木に出会えたことは単なる偶然ではないように感じ、命を終えてなお、新たな息吹を宿したかのようなその力強い姿に、魂が震えるような深い感動を覚えました。

命を繋ぎ枝を広げる「五百枝杉」

表参道の石段を少し下り、横参道へと進むと、圧倒的な存在感を放つ巨木が目に飛び込んできました。1本の根元から無数の枝が分かれ、空へと広がる「五百枝杉(いおえすぎ)」です。御本殿横の御神木と同様に、1991年の台風で主幹が折れるという大きな被害を受けながらも、その傷跡を抱えたまま、折れた先から再び命を繋ぎ、力強く空を仰ぐ姿を今に残しています。

神々が降り立つ高天原の入り口

横参道の突き当たりまで歩を進めると、不意に視界が開け、車も通れる砂利道へと出ました。深い緑の茂みに寄り添うように、小さな鳥居がひっそりと佇み、ここから森の奥へと続く場所が、神々の世界へとつながる神聖な領域であることを、静かに確かな気配をもって示していました。鳥居の傍らには「高天原」の文字が書かれた立志柱。お願い事をする場所ではなく、自分自身の人生の目的や使命を神様に誓い、決意を新たにするための象徴的な柱です。

高天原とは、神話の世界では「天上界」を指しますが、それが地上にあったという説に基づけば、日本全国に数十箇所以上の伝承地や候補地が存在します。それらは地名や神社の由緒、歴史的な考察によって今に語り継がれていますが、その中でも正統な伝承地として有力視されているのが、天孫降臨の舞台として名高い宮崎の高千穂、大和朝廷の歴史と深く結びついた奈良の高天台、地名が古事記の記述と重なる福岡の甘木。さらに、飛騨高天原説で知られる岐阜などの聖域で、各地がそれぞれの根拠を抱き、天との繋がりを今に伝えています。そうした有力候補の中でも、ひときわ異彩を放っているのが幣立神宮。天孫降臨よりも遥か古の「世界の高天原」として、全人類の親神が最初に降り立った宇宙的な根源地であることを、由緒に深く刻まれています。

日本神話が持つ多層的な構造ゆえに、歴史上の拠点であった場所や、宇宙的なエネルギーが満ちる場所が、それぞれ別の「高天原」として各地で花開いたと考えるのが自然かもしれません。「唯一の正解」を探すよりも、それぞれの場所が抱く独自の気配や物語の違いを感じることが、神話の世界をより豊かに味わう秘訣のように思えました。

世界平和を願う祈りと歴史の広場

鳥居から160mほど歩くと、「世界平和道場」が姿を現します。ここは、幣立神宮に伝わる五色人の伝承「人類は皆ひとつの根源から分かれた兄弟である」という精神を象徴する場所。隣接する広場には、初代神武天皇が東征へ向けて旅立ったと伝わる「神武天皇発輦跡(じんむてんのう はつれんあと)」や、世界をひとつの家族とする願いが込められた「八紘一宇(はっこういちう)」の柱が静かに佇んでいます。

神代から受け継がれてきた伝承と、神武天皇ゆかりの歴史、そして現代へと続く平和への祈りが重なり合うこの場所。幾千年もの時を超えて受け継がれてきた人々の祈りに思いを馳せると、自然と心が静まっていくようでした。晴れていれば阿蘇の山々を望めるそうですが、この日は深い霧が境内を包み込み、幻想的でどこか神秘的な雰囲気に。静寂に満ちた厳かな空気が、この場所ならではの特別な時間を演出してくれました。

神話に精通する友人から、いつか聞いた「幣立神宮」の名。心の片隅に眠っていたその記憶が今回の旅を機に蘇り、数十年の時を経てようやく参拝が叶い感無量です。日宮に満ちる太古の祈りの余韻を胸に、ここからは地神五代の神話が息づく高千穂神社、岩戸神社、そして天安河原へと歩みを進めました。


幣立神宮
熊本県上益城郡山都町大野712