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【九州・熊本】夏目漱石ゆかりの地・森の都に佇む「内坪井旧居」を訪ねて
目次
「夏目漱石 内坪井旧居」へGO!
2024年10月下旬、熊本城近くの閑静な住宅地に佇む夏目漱石内坪井旧居を訪ねました。ここは夏目漱石が小説家として活躍する以前、英語教師として熊本・第五高等学校(現熊本大学)に勤めていたときに住んでいたという家。2016年に起きた熊本地震の被災でしばらく公開中止になっていましたが、復旧工事が完了して昨年から公開を再開しています。
「夏目漱石内坪井旧居」利用料金ほか
利用料金:大人・高校生200円、小・中学生100円、未就学児無料(熊本市内の小中学生と65歳以上の方は無料)
開館時間:9:30-16:30
定休日 :月曜(祝日の場合は翌日)、12月29日~1月3日
所在地 :熊本市中央区内坪井町4-22
電話番号:096-325-9127
アクセスは、バスの場合は「壺井橋」下車徒歩約2分、市電の場合は「熊本城・市役所前」下車徒歩約13分。車の場合はすぐ隣に5-6台の駐車スペースがあります。
「夏目金之助」の表札
夏目漱石が住んでいた内坪井旧居は、瓦屋根に覆われた立派な日本家屋で、玄関には本名「夏目金之助」の表札がかかっていました。玄関前の自販機で入場料を支払い、簡単な説明を受けたあと観覧スタートです。
夏目漱石が熊本で住んだ6つの家
夏目漱石は熊本にある第五高等学校の英語教師として1896年(明治29年)に赴任し、在任中の4年3ヶ月のうち6回の引越をしており、ここ内坪井旧居は特に妻の鏡子さんが気に入り、1年8ヶ月(1898年7月〜1900年3月)と一番長く暮らした家だったそうです。(最初の家は目の前が墓場、次は下宿屋みたいな嫌な家なのに家賃が高いと鏡子さんが嫌ったらしく、3つ目の家は家主の帰郷によりやむなく退居、4つ目の家では鏡子さんの入水事件があり川から離れたこの5つ目の家に引越し、6つ目の家は1900年から約2年間の国費留学生としてロンドンに行く直前に3ヶ月だけ住んだ)ちなみに当時の夏目漱石の月給は100円(今の100万円)で、内坪井の家賃は10円だったとか。
展示資料によると内坪井旧居は、漱石が住んでいた当時からある母屋を中心とした部分(ピンク:明治期建物)と、後の住人によって増改築された部分(ブルー:大正4年増築、グリーン:大正・昭和増築)に分かれていて、北側の和室6畳が元玄関、和室10畳に元6畳の応接間(増築時に10畳に広げられたと推定)、和室8畳が夏目漱石の書斎兼居間だったとされています。
夏目漱石の旧住居の中で現存しているのは全国で4軒あり、その中でも移築せず当時と同じ場所に残っているのはわずか2軒、その内現在一般公開されている住居はここ内坪井旧居のみとのこと。とても貴重な熊本市指定史跡です。
元玄関とされる和室6畳
元玄関とされる6畳の和室には、1907年(明治40年)に初版が発行された夏目漱石の初期作品「鶉籠」(坊ちゃん・二百十日・草枕を収録)が展示されていました。
なかには書簡や写真など撮影禁止の展示物もありますが、家の内部から資料までほぼ自由に写真・動画撮影がOKです。
西側の和室と広縁
こちらは西側の和室6畳、4.5畳と広縁。古いガラス戸や柱が明治からの長い歴史を感じさせてくれます。
ガラス戸は手作りの板ガラスで、もはや専門の職人さんもいないそうですが、地震による被害が奇跡的になかったとのことで本当に良かったです。ちなみに内坪井旧居の復興には村上春樹さんの多額の寄付による援助もあったそうです。
南側の庭園と井戸跡
母屋の南側に広い庭園があり、長女が生まれたときの産湯に使ったという井戸跡が残っています。現在は樹木が多く育っていますが、明治期に出入りしていた門弟・寺田寅彦の回想によると、当時の庭にはほとんど何も植わっていなかったとか。
あいにくの雨でしたが、それもまたしっとりとした風情がありました。
夏目漱石の書斎兼居間
南の庭園側に夏目漱石が書斎にしていたとされる6畳の和室があり、開け放しの窓から通り抜けていく風が清々しい…すっきりとしたシンプルな書斎で、目前に庭園風景が広がる気持ちの良い部屋です。
部屋の中央に文机と火鉢、机上には後期の代表作品である小説「こゝろ」、部屋の隅に置かれた書棚には「三四郎」「それから」「門」「明暗」など漱石の長編小説が並んでいます。
元応接間にて談話
南側の庭園に面した10畳の和室は、元6畳だったと言われる応接間(増築時に現在の10畳に広げられたと推定)。中央の座卓に関連資料が並んでいたので、それらを読みながらくつろいでいると、事務所の方から笑顔の素敵なダンディなおじさまがいらして、夏目漱石のエピソードから熊本地震のことまで多岐にわたる興味深いお話をしてくださいました。
猫を主人公にした小説「吾輩は猫である」を執筆したくらいなので夏目漱石は猫派と勝手に思っていたら、実は犬の方が好きだったそうで…むろん猫も好きだったようですが、内坪井に住んでいた頃はよく吠える番犬を飼い、とてもかわいがっていたのだとか。
今でもこの庭には大体いつも猫がいて、時には家の中に入ってくることもあるようで、座布団の上で気持ちよさそうに昼寝している写真なども見せてもらいながら、色々と楽しいお話が伺えて良かったです。
そういえば、壁に掲げられた夏目漱石の俳句「鳴きもせで ぐさと刺す蚊や 田原坂」(現代語訳:鳴きもしないでぐさっと刺してくる蚊がいるなぁ、この西南戦争が起きた田原坂は…)についてお話を聞いていたまさにそのとき…、蚊に刺され、一人ほくそ笑んでしまいました。
大正期に増改築された部屋
1915年(大正4年)に母屋の東側に玄関・洋室・トイレ・広縁、北側に和室・台所・浴室などが、大正から昭和にかけては西側に和室・トイレ・広縁などが増改築されたそうです。
大正4年に増築されたクラシックな洋室
こちらは夏目漱石が内坪井旧居を退去してから15年後の1915年(大正4年)に増築されたという天井の高い洋室。ワインレッドの絨毯が敷かれた開放感のあるクラシックな部屋です。
夏目漱石の肖像画や、作品年譜、漱石全集なども展示されています。
大正末期頃に増設された部屋
踏み込み台の跡が残っていることから明治期には土間があったとされる母屋の北側は、大正末期頃に増改築が行われたようで、現在は4.5畳の和室に熊本時代の暮らしぶりや出来事がわかる資料などが、また前室と呼ばれる4畳ほどの部屋には、夏目漱石の肖像が描かれた旧千円札(贈呈状付き)が展示されています。
▼4.5畳の和室
▼4畳の前室
内坪井旧居の増築部分である4畳前室には、日本銀行総裁から寄贈されたという1984年(昭和59年)発行の旧千円札(贈呈状付き)が展示されており、この旧千円札が4番目に印刷されたものであることを表す記番号「A000004A」が記されていました。ちなみに1番は日本銀行/貨幣博物館、2番は新宿/漱石山房、3番は松山/子規記念博物館となっています。
紙幣の表面の右下と左上にあるアルファベットと数字の組み合わせを「記番号」と言い、全ての紙幣には異なる基盤号が印刷されています。記番号は若いアルファベットと数字の組み合わせの物ほど早い時期い印刷されたものであり、発行番号早いものは肖像の人物所縁の自治体や博物館などに寄贈されることが慣例となっています。
夏目漱石内坪井旧居
熊本市中央区内坪井町4-22
096-325-9127
あとがき
この日は雨が降ったり止んだりの天気で、内坪井旧居に着いたとたん土砂降りになってしまったのですが、このスコールのおかげで訪問者もなく貸切状態で、気兼ねなくゆっくり過ごすことができました。
今から約125年前、静かに佇むこの趣深い日本家屋に、漱石一家が住んでいたんだなぁとシミジミ…。見学したあとは、小雨になるのを待ちながら縁側で庭を眺め、時空を超えた空想の世界にしばし浸りました。内坪井旧居が今後も多くの人々にその魅力を伝える場であることを願ってやみません。
内坪井旧居を見学した際の動画を編集してみたのでよろしければこちらもご覧下さい☆