【東京・ミュージアム】昔はどんな街だった?新宿の歴史を紐解く「新宿歴史博物館」へGO!

新宿区立「新宿歴史博物館」へGO!

6月後半の土曜日、朝一で「新宿歴史博物館」に行ってきました。今回が初めての訪問です。

アクセスは、都営新宿線「曙橋駅」A4出口より徒歩8分、JR・丸の内線・南北線「四谷駅」より徒歩10分。小スペースながら駐車場があるということで、いちかばちか営業開始時間の少し前に行ってみると空車でラッキーでした。(スペースは中〜大型1台or軽2台程)駐車場前は緑に囲まれた庭園「サンクンガーデン」になっています。

「新宿歴史博物館」の観覧料ほか

観覧料 :一般300円、小・中学生100円(団体割・免除等あり)
開館時間:09:30-17:30
定休日 :第2・4月曜日(祝日の場合は翌平日)、12月29日~1月3日
所在地 :東京都新宿区四谷三栄町12-16
電話番号:03-3359-2131

今回はぐるっとパスを利用して常設展を観覧しました。

1/1000のジオラマ「新宿写真」

館内に入ってまず目に飛び込んできたのは、JR新宿駅中心の街並みが1/1000のサイズで再現された都市ジオラマ!素晴らしい!CGではなく写真によって忠実に再現したものだそうでスマホで撮った写真が空撮みたい♪ 新宿は10代〜20代の頃、学校にバイトに、そして良く飲み歩いた場所、住んでいた時期もあったりと馴染の深い街なので、じっくり見入ってしまいました。ただすぐ前方に受付があり視線が気になって没入できず…、そうでなければ何時間でも見ていられそうです☆

都市ジオラマ好きにとっては思わぬ嬉しい作品!これは新宿歴史博物館の一つの目玉だと思います✨️ 森ビルが作った 1/1000サイズの東京模型も見たくなりました☺︎

地下1階常設展へ

受付でぐるっとパスを提示して常設展がある地下1階へ。こちらでは、古代遺跡から中世、江戸、昭和初期、戦中戦後から平成と、近世代をメインに時系列で新宿の移り変わりを紹介しています。館内の展示品は、内藤新宿復元模型、蔵造り商家、文化住宅の復元家屋、東京市電の大型レプリカのみ撮影OKでしたが、それ以外は全て撮影禁止です。

1/120サイズの「内藤新宿復元模型」 

新宿区内で発掘された旧石器時代〜江戸時代までの資料や土器(遺構模型)などの展示室を過ぎると1/120サイズの「内藤新宿復元模型」が出現。道中には茶屋や旅籠が軒をつらねる宿場町が続き、町人や旅人、旅籠などが通りを行き交い様子が再現されています。ここは藩主の内藤氏が幕府に返上した屋敷地に新しい宿場が置かれたことから「内藤新宿」と呼ばれ、新宿の地名の由来になったのだとか。

内藤宿場の長さは約1kmで、宿場東境の出入り口となる大木戸(現新宿1丁目交差点付近)から追分(新宿3丁目交差点付近)を過ぎ、現在の伊勢丹西側あたりに宿場西境の出入り口となる木戸があったそうです。

江戸時代の甲州道中で、江戸から最初の宿場、江戸への最後の宿場であったのが内藤新宿です。当初、甲州道中の江戸から最初の宿場は下高井戸宿でした。内藤新宿が開発された理由には、下高井戸までの距離が遠かったことが挙げられています。1699年(元禄12年)に宿場として開設。宿場としての内藤新宿は、公用交通の際に定められた人足と馬の提供、手紙の搬送、宿泊施設を設けていることでした。(新宿歴史博物館・解説シートより)

江戸時代の「蔵造り商家(店蔵)」

「江戸のくらしと新宿」のコーナーで存在感を放っているのは重厚な蔵造りのレプリカ(店蔵)。江戸時代から明治時代にかけて、さかんに建てられたという店蔵は、周りを漆喰で覆った防火建築で、火災がおこると防火戸を閉め、隙間を土でふさいだそうです。2階の観音開きの厚みが凄い!1階の土間まで実際に入れるようになっていて当時の商家の様子が伺えます。

「火事と喧嘩は江戸の華」といわれるほど、江戸の町は火事が多かったといいますが…、はじめ江戸では河岸地以外の場所に蔵を建てることは厳しく制限され、屋根の瓦でさえも禁止され多くの家が萱や板で屋根を葺いていたそう。火災が起きたらひとたまりもなく火が燃え広がって甚大な被害を受けたことは容易に想像ができますね。(防火対策として幕府が蔵造り建築を認めたのは1720年の江戸中期)

昭和初期の「東京市電のレプリカ」

昭和初期の展示のコーナーにある大型レプリカは新宿駅前を走っていたという路面電車。丸みを帯びた外観、そして車内は木枠の窓と、レトロ感満載です。それまで木でできていた車体に鉄が使われるようになったという最新型の電車だったそう☺︎

最初に路面電車が走った明治時代の1号車から段々と数が増え、この5000形は1930年(昭和5年)に製造され、1968年(昭和48年)まで使われていたとあります。ちなみに現在走っている荒川線の電車には2015年に導入された8900形があるそうです。

文化住宅の復元家屋

こちらは1935年(昭和10年)頃の文化住宅を復元した家。玄関先までしか入ることはできませんが、部屋の中まで写真撮影できました。「文化住宅」は、小さな和風住宅に洋風の応接間を設けた家のことをいい、当時のサラリーマンにとって洋間のある家を持つことはひとつのステイタスシンボルで大変流行ったそうです。

新宿・落合に借家住まいをしている丸の内勤務のサラリーマン家庭(30代前半の夫婦と幼い子どもが2人)では、月給100円、家賃月額18円、食費30円(白米10kg2円50銭)、新聞代月額90銭、洋画50銭、喫茶店の珈琲15銭…とそういう時代背景。この頃からサラリーマンは洋服を着るようになり、食事もカレーやコロッケ、パンなどの洋食が少しづつ食卓に上がるようになり、休日には家族でデパートへ行ったり、遊園地に出かけるといったサラリーマン生活の原型ができあがっていったそうです。

1階ホワイエとサンクンガーデン

1階のホワイエには、小田急の運転席(復元)やテーブル席が置かれた休憩所があり、外にも出られるようになっています。庭は高低差を利用した立体的な景観が楽しめるサンクンガーデン。桜や楓などの木々も植えられていて里山を見ているような風景です。6月の現在は、若葉の濃淡が美しいグリーンワールド。桜と紅葉の季節には鮮やかな色彩が楽しめそうなガーデンです。


新宿歴史博物館
東京都新宿区四谷三栄町12-16
03-3359-2131

あとがき

全体的に展示資料の説明が少ない印象でしたが、大型レプリカなど当時のライフスタイルを見て感じ取れる展示が多かったです。一応展示物の近くや展示場出口に解説シートが置いてあったので、あとで説明をゆっくり読むことができました。

都内博物館の常設展などは写真撮影OKなところが殆どなので、こちらでも昭和期の写真が撮れるものだと期待していたら、大型レプリカの4箇所以外は撮影NGでした。路面電車の背後にある非常口を出たところに「玉川上水の木樋」があったのですが、そちらも撮影禁止…殆どが撮影禁止だった点はとても残念ですが、新宿の都市ジオラマと内藤新宿復元模型だけでも写真が残せたのは良かったです☺︎

写真がないので他にどんなものがあったのかうろ覚えですが…昭和初期の新宿通りを中心とした映画館や飲食店などは個人的にとても興味深い展示で、中には良く知っている場所もあって懐かしかったです。あとで解説シートを確認してみると、新宿高野、中村屋、今はなき新宿三越(現ビックカメラ)裏手の船橋屋など、今でも営業している飲食店がいくつもありました。

また近代文学史では、夏目漱石、林芙美子、太宰治、永井荷風…と、新宿に住んでいたことがある名だたる文豪たちの名前がズラリ。23区内で最も多くの文士が住んでいたのは文京区と思い込んでましたが、新宿区が一番だったのかも?!ちなみに歴史博物館のあとは夏目漱石の終焉の地「漱石山房記念館」を訪問しました。