「雷門・浅草寺〜スカイツリー」で浅草を堪能! 浅草のシンボル「浅草雷門」で写真撮影したら、仲見世で浅草名物を食べ歩き、浅草寺・常香炉で煙を浴びて参拝する。というのが浅草観光の定番ですが、もう少し足を伸…
【東京下町風景】浅草に200万人が押し寄せる熱い3日間!浅草神社例大祭「三社祭」
東京・浅草にて毎年5月第3週の週末3日間に開催される「三社祭」は、約200万人もの人が集まる浅草神社例祭!開催中は、びんざさら舞や太鼓などの奉納のほか、町内神輿連合渡御や本社神輿各町渡御が行われ、浅草神社を出発した神輿は、法被にねじり鉢巻きをした約1万人という粋な担ぎ手たちによって町内を練り歩きます。
目次
有名な「三社祭」だけど…そもそも三社とは?
628年3月18日、隅田川で漁をしてい た兄弟漁師の投網に一体の小さな仏像が見つかった…それを郷司「土師真中知」に見せ「聖観世音菩薩」という観音様であることが分かると、土師真中知は僧となって自宅を寺にし、聖観世音菩薩を祀ったというのが浅草寺の始まり。というのがあらまし…
その後、浅草寺の御本尊観音様「御示現」に関わった、郷司「土師中知」、兄弟漁師「檜前浜成」と「檜前竹成」の三人を神様 として祀り「三社権現社」としたのが、浅草神社の始まりで、その三柱の神様のことを庶民が親しみを込めて呼んだのが「三社さま」とのこと。それが今もなお、三社さまと呼ばれる所以なのですね。
「三社祭」の今と昔
その三社さま「浅草神社」(1868年三社大権現社から三社明神社と改められ1874年現在の名称に至る)にて行われる浅草神社例大祭が三社祭です。
昔の祭りは3月17日、18日の両日に行われ、丑、卯、巳、未、酉、亥の1年おきに本祭が行われました。正和元年(1312)から三社の神話に基づき船祭が始められたと云われています。
祭礼は今のように本社神輿をかつぎ廻ることよりも、むしろ氏子十八ヶ町や、片町、茅町、天王町、黒船町、三好町などから繰り出された山車が中心で、各町がおのおのの趣向で行列の勢いと絢爛さを競い合ったようです。この様に昔の祭礼は蔵前筋や浅草橋の各町にまで及ぶ広範囲のものでした。
祭礼当日の早朝、山車を中心とする祭礼行列は浅草見附の御門外に集合しました。御蔵前から諏訪町、並木町と並んで仲見世から境内に入り、観音堂に安置された神輿の前に参詣の上、おのおのの芸能を演じ、随身門(二天門)を出て自分の町へ帰りました。これが終わると「お堂下げ」と云って神輿三体を本堂からおろし、一之宮を先頭に浅草御門の乗船場まで担ぎます。待機していた大森在住の漁師の供奉する船に神輿をのせ、浅草川(隅田川)を漕ぎあがって駒形から上陸し、浅草神社にかつぎ帰ったと云われています。この船祭は江戸末期まで続きました。明治に入って廃絶し、明治5年から5月17日、18日の両日に祭礼を行い、現在の氏子各町に神輿の渡御を行うようになりました。【浅草神社HPより引用】
このように、かつては「観音祭・船祭」と呼ばれる祭りが3月17日、18日に開催されていましたが、神仏離令後、「観音祭」は浅草寺の法要としての「示現会(じげんえ)」(3月18日)に、「船祭」は浅草神社の「三社祭」(5月17日、18日)に分けてとり行われるようになったとのことです。
神仏習合(日本古来の神道と仏教とを結びつけた信仰のこと)によって一体であった「浅草寺」と「浅草神社」は、明治政府による「神仏離令」後に、寺と神社に分離されましたが、現在でも同じ敷地内にあってその結びつきは強く、三社祭でもその名残を見て感じることができます。
現在では交通事情や情勢変化などにより、1663年からは5月17、18日に近い週末(第3週の金〜日曜日)に「三社祭」を開催。神輿神霊入れから始まり、例大祭式典、びんざさら舞奉納、巫女舞奉奏、奉納舞踊、太鼓奉演などが行われるほか、土曜日に氏子各町連合渡御、日曜日に一之宮から三ノ宮の本社神輿による各町渡御が行われます。
- 一之宮 土師新中和命(ハジノマツチノミコト)
- 二之宮 檜前浜成命 (ヒノクマハマナリノミコト)
- 三之宮 檜前竹成命 (ヒノクマタケナリノミコト)
2018年の「三社祭」開催スケジュール
5月17日(木)
19:00 本社神輿神霊入れの儀(ほんしゃみこしみたまいれのぎ)
本社神輿へ浅草神社の御神霊(おみたま)をお移しする儀式
5月18日(金)
13:00 大行列(雨天中止) ※大行列順路はコチラ(浅草神社HP)
お囃子屋台・鳶頭木遣り・びんざさら舞・白鷺の舞などが行列をつくって浅草の町を歩く
14:20 びんざさら舞奉納(社殿)
無形文化財「びんざさら舞」の奉納が浅草神社に於いて行われる
15:00 びんざさら舞奉納(神楽殿)※びんざわら舞の詳細はコチラ(浅草神社HP)
15:30 各町神輿神霊入れの儀(かくちょうみこしかみたまいれのぎ)
各町会の神輿へ御神霊(おみたま)をお移しする儀式
5月19日(土)
10:00 例大祭式典
12:00 町内神輿連合渡御(ちょうないみこしれんごうとぎょ)
町内神輿約100基が浅草寺本堂裏広場に参集し一基ずつ発進。浅草神社でお祓いを受けたのち各町会へ渡御
16:00 奉納舞踊(神楽殿) 浅草花やしき
17:00 巫女舞奉奏(神楽殿)
5月20日(日)
6:00~ 宮出し・本社神輿各町渡御・宮入り ※渡御順路はコチラ(浅草神社HP)
本社神輿3基が各町会を渡御
14:00 巫女舞奉奏(神楽殿)
15:00 奉納舞踊(神楽殿) 東京浅草組合
16:00 太鼓奉演(境内) 日本太鼓道場
11:00- 雷門通りから馬道通りにてお祭り広場を開催( 交通規制あり)
-18:00
宮入後 本社神輿御霊返しの儀(本社神輿へお移り頂いた御神霊を本殿へお戻しする儀式)
「三社祭」町内神輿連合渡御
いつもは静かな浅草神社ですが、三社祭には、約100基もの町内神輿が浅草神社でお祓いを受けるため、このときばかりは、ものすごい人でごった返します。各町会ごとに半纏の柄が違うので、その様々な色やデザインを見るのも面白いですよ。(写真は2016年に撮影したものです)
浅草神社周辺
浅草神社でお祓いが終わった町内神輿が、神様と一緒に町中を渡御をします。
浅草寺周辺
渡御が始まるお昼頃になると、特に浅草神社前から浅草寺にかけての神輿が通る導線上が、押し合い圧し合いながらのものすごい数の見物客になります。
「セイヤッ!ソイヤッ!」という威勢の良い掛け声と熱気にテンションが一気に上がります。「血が騒ぐ」とは、まさにこのことですね!
ちなみにセイヤ、ソイヤの掛け声は「ワッショイ➡ッショイ➡ショイワッ➡セイヤorソイヤ」というように変化したそうですよ😁
また「ワッショイ」の語源は、明治期の「東京風俗志」によると、和を背負う(和をもって平和を担ぐ、皆がひとつになって力を合わせ目的を達成する)ということから来ているのだそうです。そんな素晴らしい意味があったんですね!
いつも混雑している浅草寺ですが、年間を通して三社祭がピークではないかと思える混雑ぶり。大勢の人が一斉に背伸びをしながら両手を挙げ、やってきた神輿を写真に収めようと、みな必死です!!
タコ焼き、お好み焼き、焼きそば、etc…境内に並ぶ露店も大繁盛!腹掛をした女の子が金魚すくいをする姿なども見られ、江戸情緒を感じさせてくれます。
二天門周辺
二天門から出てきたお囃子屋台と町内神輿。半纏と鉢巻きでキリッと決まった女性の担ぎ手さん、外国人の担ぎ手さんも多く見受けられます。
かんのん通りアーケード
狭いアーケードの中だって、威勢良く神輿が駆け抜けていきます。神輿が通る通りのカフェやレストランでは、窓ぎわで見物する人もたくさんいて、どこのお店も満席!
ホッピー通りもいつも以上に昼から大盛況!
「三社祭」本社神輿各町渡御
三社祭の最終日は本社神輿の渡御です。早朝6時、浅草寺境内から3基の本社神輿が発進する「宮出し」が始まり、南、東、西ルートに分かれて街を練り歩きます。
浅草清川3丁目周辺
本社神輿(三之宮)を先導しながら太鼓を打つ白装束
三之宮がやってきた!やはり本社神輿は迫力があります。三之宮の台座幅は129cm、高さ212cm、重さは約1トンあるのだとか!!ちなみに二之宮と三之宮は兄弟仲良く同様サイズ、一之宮は高さ262cm、1060Kgあるそうです。
本社神輿のあとをお馬さんが歩きます。
三社祭(三之宮)渡御
三之宮が次の町会にバドンタッチされる様子を撮った動画です。
次の引き継ぎポイントに向かうため、トラックに運び込まれる本社神輿。昔は船、今はトラックで移動なんですね😊
浅草神社境内で行われる奉納イベント
浅草神社の神楽殿で、 巫女舞奉奏と奉納舞踊が鑑賞できます。また境内で行われる日本太鼓道場の太鼓奉演がオススメ。間近で叩く太鼓の音がずっしりお腹に響きます。見応えありますよ!
本社神輿の宮入り
各町渡御を終えた本社神輿が、19時〜20時にかけて宮入りします。本社神輿を先導する提灯が風情。狭い仲見世を通り抜けてゆきます。
一之宮が渡御から帰ってきた!(雷門〜仲見世)
宮入りに向かう本社神輿(一之宮)が雷門から仲見世に入っていく様子の動画です。
大勢の人々が掛け声をかけながらひとつになる一体感は最高に気持ち良い!たくさんのパワーを分けてもらえます♪
5月3週目の週末は、江戸情緒溢れる粋な「三社祭」にご家族やご友人と、出かけてみてはいかがでしょうか。