【静岡・伊東】伊東温泉の風情と歴史を伝える文化施設「東海館」を見学

伊東温泉街の文化施設「東海館」へGO!

静岡県伊東市の温泉街にある文化施設「東海館(とうかいかん)」は、1928年(昭和3年)創業から1997年(平成9年)まで営業していたという温泉旅館。伊東市に寄贈後、2001年(平成13年)に文化施設「東海館」としてオープンし、現在は建物の見学と日帰り入浴ができる観光名所になっています。

場所は、伊東駅からは徒歩約10分ほど。目抜き通りを抜けた松川沿いに温泉情緒が漂う東海館が現れます。どっしりとした木造3階建ての建物で、朝陽と鶴の彫刻が施された唐破風の風格がある玄関が迎えてくれます。

開館時間:9:00-21:00(最終受付時間20時迄)
休館日 :元旦、第3火曜日(祝祭日の場合は翌日)
入館料 :大人200円、小人100円

東海館1階

玄関に入ってスリッパに履き替え、左手にある受付で入館料を払って見学開始!

1階案内図

1階には、5つの客間(葵の間・蘭の間・菖蒲の間・桔梗の間・蔦の間)、日帰り入浴の大浴場・小浴場(源泉かけ流し)、喫茶室、インフォメーションコーナーなどがあります。訪問した日は、ドラマか映画の撮影が入っていた為、1階の客間は見学できませんでした。

ホール前の中庭

受付のホール前の中庭には、各地から集めた大石や鶴亀を表したという小さな池庭がつくられています。

インフォメーションコーナー

玄関ホール横のインフォメーションコーナーでは、東海館のパンフレットや使用していた道具などを展示。その奥に日帰り入浴ができる男女入れ替え制の大浴場・小浴場があります。(日帰り入浴料:大人500円、子供300円。営業日:土・日・祝日。営業時間:11:00-12:45、15:00-16:45)

和風喫茶室

中庭の前が喫茶室(10:00-17:00)になっていて、飲み物・甘味のほかに軽食が食べられるようです。(チケットは1階受付で購入)

東海館2階

2階には、4つの客間(牡丹の間・橘の間・五月の間・藤の間)と、伊東の歴史などが分かる展示室があります。

牡丹の間

牡丹の間は2部屋続く大きめの客間。中央に円卓と火鉢が置かれていて昭和の和風情緒が感じられます。

書院の欄干や障子には、美しい幾何学模様や漁網を吊るして干している様子を表したデザインが施されています。

広縁からはすぐ横を流れる松川が一望できます。

東海館3階

東海館の3階は、1938年(昭和13年)に竣工し新館と呼ばれた客室と廊下なのだそうです。廊下や客間の入口には自然の造形美を生かした古木が使われており、あたたかいぬくもりと高級感が漂っています。

雁行型建築様式

「雁行する一戸建て風」という説明文の意味が分からなかったので帰宅後調べてみると、雁行型とは建物形状のひとつで、各住戸ごとに斜めにずらして配置する形式のこと言うそうです。建物を上から見ると、雁が群れをなして空を飛んでいくときの隊列の形に似ていることからこう呼ばれているのだとか。客間の入口が廊下に面していないので扉を開けたら別客とバッタリ合ってバツが悪い…などということもなさそうですね。

三浦按針の部屋(橘の間)

資料の説明を要約しますと…ウィリアム・アダムス(英国人)は、極東を目指す5隻の船団の一航海士としてロッテルダム港を1598年に出航。2隻は他国によって拿捕、はぐれた1隻は帰港、1隻は沈没と航海は惨憺たる有様で、極東に到達したのはウィリアム・アダムスが配置転換されたリーフデ号1隻のみで1600年(慶長5年)豊後臼杵の黒島に漂着。(110人いた乗組員は日本漂着時24人に減少)

イエズス会が処刑を要求するも幾度かにわたって引見した家康が宣教師らを黙殺し、投獄していた乗組員たちを釈放。江戸に招かれたウィリアム・アダムスは、通訳や外交顧問として徳川家康に重用され、また船大工としての経験を買われて、伊東に日本初の造船ドックを開設、日本で最初の洋式帆船を建造したとあります。(1604年(慶長9年)に80トンの帆船を建造。1607年(慶長12年)には120トンの船舶を建造)

この功績を賞した家康は、ウィリアム・アダムスを250石取りの旗本に取り立て、相模国逸見(現在の横須賀)に領地を与えたといいます。また、三浦按針(按針・あんじんの名は、彼の職業である水先案内人の意。姓の三浦は領地のある三浦郡にちなむ)という日本名をを与えられ、異国人でありながら日本の武士として生きることになったのだそうです。

伊東祐親の部屋(五月の間)

伊東祐親(いとう すけちか)は、平安時代末期の武将であり、伊豆国伊東(現・静岡県伊東市)の豪族。平治の乱に敗れ、蛭ヶ小島に流された源頼朝の監視役になった人物なのだそうです。

祐親が京都で大番役を務めていた間に四女の八重姫と頼朝が親密になり子どもまで授かってしまったそうで…床の間の絵は、生まれた赤ん坊を愛し気に見守るふたりと、それを忌々しく見ている祐親の様子を描いたものだとか…。

東郷平八郎の部屋(藤の間)

東郷平八郎は、明治時代の大日本帝国海軍の軍人(指揮官)として日清戦争、日露戦争の勝利に大きく貢献し、日本の国際的地位を引き上げた人物の1人。ちなみに原宿の竹下通り近くに、勝利と至誠の神様として東郷平八郎命を御祭神にお祀りする「東郷神社」があります。

1904-1905年の日露戦争においては「三笠(みかさ)」に乗艦し、連合艦隊司令長官として海軍の作戦を指揮し当時世界最強といわれたロシアのバルチック艦隊を日本海海戦で撃破したという話は有名、というか歴史で勉強しましたね。

晩年は、リウマチを患った奥さまの温泉療養のため伊東の別荘でゆっくり過ごされたそうで、東海館では伊東にゆかりのある歴史的人物として資料が展示されています。

東海館から南東に約5分ほど歩いたところに「伊東東郷記念館」があり、お風呂や台所など生活感のある場所なども自由に見学できるので、そちらも合わせて見学するとより身近に東郷平八郎という人物を知ることができると思います。

東海館・常設展示ギャラリー

伊東市の大室高原で創作活動を続ける彫刻家・重岡建治さんの作品を常設する展示ギャラリー。重岡さんの作品は世界各地にあり、伊豆半島でも各所で見ることができるようですが、ここ東海館では「大地から生まれる作品」をテーマにした彫刻が数多く展示されています。

彫刻の背後に写し出される影との調和が美しい!男女や家族をイメージした木彫やブロンズ製のモニュメントなど素晴らしい作品に出会えます。

各種展示コーナー

東海館開業当時の様子を再現した客間をはじめ、伊東温泉街の当時の様子がうかがえる写真コーナー、島崎藤村や与謝野晶子など、伊東温泉を訪れた文人のコーナー、伊東が生んだ医学者であり文学者、芸術家でもあった木下杢太郎のコーナーなど、様々な資料が展示されています。

東海館3階

東海館3階には、鳥をテーマにした4つの客間(孔雀の間、鶴の間、千鳥の間、燕の間)と、120畳敷の大広間などがあります。

孔雀の間と鶴の間

孔雀の間(左写真)は「草」の構えと言われる自由で閑寂な造りの床の間。床柱には桜の皮付き丸太が使われ、書院障子には組子細工が施されています。

鶴の間(右写真)と千鳥の間は、高速Wi-Fi完備(冷暖房はナシ)リモートワークルームとして利用できるそうです。

各階の部屋ごとに意匠を凝らした書院障子や飾り窓が本当に美しい… 真面目で、几帳面で、仕事熱心な日本人だからこそ形成できた日本人の匠技に誇りを感じる瞬間です。

120畳敷の大広間

120畳敷の大広間では、格式の高い格天井(角材を井げた状に組んで正方形をつくり、その上に板などを張ったりはめ込んだりした天井)と大正ロマン風のシャンデリア、欄間障子には青海波に千鳥が飛ぶ意匠を見ることができます。

当時はここで温泉浴客の宴席が設けられ、芸妓さんによる歌や踊りで賑わったのでしょうね。

伊東市街を360度見渡せる「望楼」

3階中央付近にある幅狭の階段を上れば、そこは伊東市街を360度見渡せる望楼!

東海館の屋根の先に見える緑色のドームは、外国人旅行者に人気のゲストハウス「K’s House(ホステル)」の望楼。その先に見える白いアンテナ塔(東京電力)の近くに伊東東郷記念館があります。南側には目の前を流れる松川や今回宿泊したホテルハーヴェスト伊東なども見えました。


あとがき

1階の客間は見学できなかったものの、2階・3階・望楼と、それぞれ違った風情と素晴らしい意匠に触れることができ、歴史と伝統に彩られた古き良き時代の温泉旅館をうかがい知ることができました。

帰り際、2019年に登場したという新デザイン「東海館と浴衣」のマンホール蓋を見つけました。伊東市のマンホール蓋のデザインは10~20年毎に変えられているそうで、東海館前の松川通りに設置されており、1998年から使用されていた旧デザイン「タライ乗り競走」や観光名所の「城ヶ崎海岸」をデザインしたマンホール蓋を一堂に見ることができます。

ちなみに「東海館と浴衣」の風景は、松川にかかる「いでゆ橋」を渡り、対岸の遊歩道から眺めることができます。


東海館
静岡県伊東市東松原町12-10
0557-36-204