【東京史跡めぐり】谷根千の団子坂上に佇む「文京区立森鴎外記念館」を観覧

「文京区立森鴎外記念館」を訪問

2022年は、文豪・森鴎外(1862-1922)の生誕160年・没後100年ということで、文京区立森鴎外記念館にて開催中の特別展「読み継がれる鴎外」を観覧してきました。場所は、千代田線「千駄木駅(1番出口)」から徒歩5分(南北線「本駒込駅(1番出口)」からは徒歩10分)、団子坂下から坂を上った大観音通りと薮下通り沿いにあります。

「森鴎外記念館」平面図(観潮楼址の屋外史跡)

「観潮楼(かんちょうろう)」は、明治、大正期に活躍した森鴎外(本名:森林太郎)が、1892年(30歳)から亡くなる1922年(60歳)まで、30年間を家族とともに暮らした家。1945年の戦災によりほぼすべてが消失してしまったそうですが、大銀杏の木、胸像、門柱、敷石、三人冗語の石などが現在もそのまま残っています。

鴎外生誕100年にあたる1962年に鷗外記念室併設の「文京区立鷗外記念本郷図書館」を建設、その後、鴎外生誕150年にあたる2012年に建築家・陶器二三雄氏の設計により現在の「文京区立森鷗外記念館」が新設されました。

戦災を免れた大銀杏の木

庭園内の大銀杏の木は鴎外の生前からあるものだそうです。銀杏のとなりに見えるのが「三人冗語の石」。名前の由来は、鴎外が創刊した「めさまし草」の評者・森鴎外、幸田露伴、齋藤緑雨の三人がこの庭の石に腰掛けて批評したことから名づけられたのだとか。

詩碑「沙羅の木(夏椿)」

鴎外の33回忌にあたる1954年7月9日、兄弟を代表して長男の於菟が文京区に寄贈したという森鴎外の詩碑(永井荷風書)。

沙羅の木
褐色の根府川石に 白き花はたと落ちたり
ありとしも靑葉がくれに 見えざりしさらの木の花

「観潮楼」平面図

鴎外によって「観潮楼」(2階の書斎から品川沖が見えたことからそう呼ばれた)と名付けられた家には、永井荷風、芥川龍之介、石川啄木、など多くの文人が訪れたといいます。

森鴎外記念館について

2022年開館10周年となる森鴎外記念会館。1階に受付・ミュージアムショップとモリキネカフェ、2階に図書室と講義室、地下1階に導入展示室、展示室1・2、映像コーナーがあります。

開館時間:10時〜18時(最終入館は17時30分)

休館日:毎月第4火曜日(祝日の場合は開館し、翌日休館)、年末年始(12月29日~1月3日)、及び展示替期間、燻蒸期間等

観覧料:通常展一般300円(中学生以下無料) ※今回の特別展「読み継がれる鴎外」は一般600円

館内に足を踏み入れると、袴姿の鴎外が出迎えてくれました。正面の壁面にはスポットライトに浮かぶ鴎外の横顔のレリーフが掲げられており、受付・ショップにはポストカードやオリジナルグッズそして数々の名作の本が並んでいます。

森鴎外について

陸軍軍医、翻訳家、小説家…、といくつもの顔を持っていた森鴎外の生まれは島根県。津和野藩主の御典医の長男として誕生し10歳で上京。学業優秀で幼少時に漢学を学び、2歳サバを読んで11歳で現在の東京大学医学部に入学。1881年、わずか19歳で卒業するというスーパーエリート一直線!その後、陸軍省へ入省し、22歳から4年間ドイツへ留学。日清・日露戦争では軍医部長として出征した後、陸軍軍医総監・陸軍省医務局長に就任するなど順調に出世。森鴎外は医学のみならず西欧文化を日本に広め、近代日本を代表する知識人として活躍された偉人です。

森鴎外の著述は、創作や評論、翻訳などを合わせると1300以上に及ぶといいます。軍医である森林太郎が森鴎外として文学活動を始めるのは28歳頃、デビュー作「舞姫」は留学先のドイツを舞台にした悲恋物語で、鴎外の実体験に基づいているのだそうです。(留学中に恋人となったエリスというドイツ人女性が鴎外を追って来日するも、様々な世間のしがらみで恋が成就することはなかった)ちなみにドイツでは最先端の細菌学を学び、以来、食品の菌を恐れ野菜なども火を通した物しか口にしなかったのだそう。また銀座キムラヤのあんパンが好物で、饅頭をご飯の上にのせてお茶漬けにして食べたというお茶目なエピソードなどもあるようです。

特別展「読み継がれる鴎外」

森鴎外記念館では、生誕160年没後100年を記念して2022年6月1日〜7月31日まで特別展「読み継がれる鴎外」を開催中。鴎外を敬愛しているという小説家・平野啓一郎が8人(青山七恵、宇佐見りん、コリーヌ・アトラン、永井愛、中島隆博、平出隆、村田喜代子、ロバート・キャンベル)の作家や研究者を選出し、読み継いだ「雁」「山椒大夫」「‎ヰタ・セクスアリス」「鶏」「大塩平八郎」「鴎外日記」、小倉時代、大逆事件などを、関連資料とあわせて展覧しています。

※これより先の地下展示室は一切撮影禁止です。幅が狭く天井の高いコンクリート張りの階段を降りて最初に目にするのは鴎外の胸像。1914年(大正3年)に製造された胸像だそうです。

鴎外や荷風の作品に登場する「藪下通り」

藪下通りに面した出口からは、建物の合間にちょうどスカイツリーが見えます。そのまま階段を降りて進むと千駄木駅、全長約500mの藪下通りを南に下っていくと千本鳥居で有名な根津神社があります。薮下通りは永井荷風の小説・日和下駄の中で「東京中の往来の中で、この道ほど興味ある処はない」と言われた場所で、有名な散策スポット。この下町風情が残る町並みは、そぞろ歩きに最適です。

永井荷風は「日和下駄」の「崖」で藪下通りのことを次のように描いています。

小石川春日町から柳町指ヶ谷町へかけての低地から、本郷の高台を見る処々には、電車の開通しない以前、即ち東京市の地勢と風景とがまだ今日ほどに破壊されない頃には、樹や草の生茂った崖が現れていた。根津の低地から弥生ヶ岡と干駄本の高地を仰げばここもまた絶壁である。絶壁の頂に添うて、根津権現の方から団子坂の上へと通ずる一条の路がある。私は東京中の往来の中で、この道ほど興味ある処はないと思っている。片側は樹と竹藪に蔽われて昼なお暗く、片側はわが歩む道さえ崩れ落ちはせぬかと危まれるばかり、足下を覗くと崖の中腹に生えた樹木の梢を透して谷底のような低い処にある人家の屋根が小さく見える。

文京区立森鴎外記念館
東京都文京区千駄木1-23-4