【三重・伊勢志摩】伝統的なお伊勢参りは「二見興玉神社」からスタート!

国の名勝に指定され渚百選にも選ばれている三重県伊勢市の二見浦にある「二見興玉神社」。こちらは大注連縄で繋がれた夫婦岩が有名ですが、二見浦は、昔のお伊勢参りで必ず参拝前に心身を清める「浜参宮」を行ったという禊場で、沐浴をしたあと伊勢神宮に参拝するのが正式な順路だったといいます。今年は新元号「礼和元年」の年。気持ちを新たに伝統的なお伊勢参りにならい、まずは「二見興玉神社」から参拝です。

美しい風景が広がる「二見浦」に到着!

早朝4時に東京日野を出発し、新東名高速経由で二見浦に到着したのは朝9時。夜明け前に出発すれば渋滞に巻き込まれることもなくストレスフリー、東京からでも案外近かいと印象です。

江戸時代は、庶民にとって一生に一度の楽しみだったというお伊勢参り。当時は乗り物なんてあるはずもなく、江戸から片道約500kmもの距離を徒歩で向かったというのですから驚き…往復で約1000kmという道のりを1ヶ月近くかけ、遥々江戸からやってきていたということを思うと感慨深いものがあります。

ちなみに「二見」という地名は古事記・日本書紀にみる「倭姫命/やまとひめのみこと」(垂仁天皇の皇女)が、あまりの風景の美しさに二度振り返ったことが由来となっているそうです。江戸時代の人々にとっては、苦労してやっとたどり着いたこの美しい二見浦を見たときは、その感激も一潮だったのでしょうね。

いざ「二見興玉神社」へ

美しい景観が広がる海沿いの参道を歩き本殿に向かいます。参拝した5月5日は、年に3回(5月5日、9月5日、12月中旬)行われる「大注連縄張神事(おおしめなわはりしんじ)」の日と重なっており、またゴールデンウィーク中ということもあって神社前の駐車場は満車、境内も多くの人で賑わっていました。

特に新元号「令和」の改元限定復刻版のご朱印をいただこうとする人たちの行列、そして大注連縄張神事を見ようとする見物客の行列が凄かったです。


日本神話・伝説の地「天の岩屋」

手水舎の手前に「天の岩屋(あまのいわや)」があります。天の岩屋は日本神話に登場する岩でできた洞窟で、天の岩戸・天岩戸(あまのいわと)、 天戸(あまと)、天岩屋(あまのいわや)、天岩屋戸(あまのいわやと)など様々な呼び方で日本全国に天の岩戸と称される場所があり、こちらの天の岩屋もそのひとつです。

三重県だけでも、二見興玉神社のほか、伊勢神宮外宮 の「高倉山古墳」(1970年代から入山禁止となっている)、志摩市磯部町の「恵利原の水穴」など、天の岩戸と言われる地が3箇所存在します。

※天の岩屋は、日本神話の主神として登場する太陽神「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」が、海を支配する弟神「須佐之男命(スサノオノミコト)」の度重なる悪行にたまりかねてお隠れになった場所で、世界が暗闇に包まれたという岩戸隠れの伝説の舞台です。

「天の岩戸(恵利原の水穴)」の詳細ブログはコチラ

二見興玉神社の御祭神「猿田彦大神(サルタヒコオオカミ)」の妻「アメノウズメノミコト」が、岩戸から天照大神を呼び出そうと神楽を舞う姿も見られます。

手水舎の「満願蛙」

御朱印所の隣にある手水舎の水中には、水をかけると願いが叶うと言われている2匹の「満願蛙」がいます。

カエルは猿田彦大神の使いと言われ、境内のいたるところに「無事かえる」「失くした物がかえる」「若がえる」などの縁起をかつぎ献納された、カエルの置物や石像が見られます。

カエルの石像の近くで「海鵜(うみう)」が気持ちよさそうに羽を広げている光景も見られました。

二見興玉神社本殿

「縁結び(良縁)」をはじめ、「心願成就」「開運招福」「商売繁盛」「海上交通安全」など、さまざまなご利益があるとされる「二見興玉神社」の主祭神は「猿田彦大神(サルタヒコノカミ)と「宇迦御魂大神(ウガノミタマのオオカミ)」。

猿田彦大御神は天孫降臨の際に道案内を務めたことから「道開き(導き)の神」と言われ、物事を始めるときに力になってくれる神様。また、宇迦御魂大神は豊受大御神の別名で伊勢神宮外宮の御祭神でもあります。

伊勢参りの順序は外宮から内宮をお詣りするのが良いとされていますが、できれば古来からの習わしに従い外宮へ行く前に二見浦を訪問したいもの。まずは二見興玉神社の本殿にて二拝二拍手一拝です。

古くからの習わしであった「浜参宮」(伊勢神宮にお参りする前に二見浦で心身を清める禊)は、現在はそれに代わって、霊草「無垢塩草」での祓い清めを受けることができます。(通常は祈祷者しか入れない拝殿が、元旦からの5日間は誰でもお祓いを受けることが可能)

※「無垢塩草」とは、夫婦岩の沖合約700m先に鎮まる「興玉神石」より採取した藻草を天日に干して「祓いの具」としたもの。

二見浦のシンボル「夫婦岩」

二見浦のシンボルとしても有名な「夫婦岩(大きな石が「立石(男岩)」小さな石が「根尻石(女岩)」は、沖合700mの海中に鎮座する「興玉神石(おきたましんせき)」を拝むための鳥居(太陽神を拝する鳥居としての役割も果たしている)です。

興玉神石は、約260年前の江戸時代に発生した地震のために海中に沈んでしまったと言われる二見興玉神社の祭神「猿田彦大神」ゆかりの霊石で、その大きさは約100m×200mほどあるといいます。

年に3回(5月5日、9月5日、12月中旬)「大注連縄張(おおしめなわはり)神事」が行われ、新しい大注連縄が張り替えられるのですが、ちょうど訪問日が5月5日、神事の途中で、まだ大注連縄がかかっていない夫婦岩を拝むこととなりました。

1本のしめ縄は、太さ10cm、長さ35m、重さ40kgもあるそうです。このしめ縄を5本束ねた大注連縄が、高さ9mの男岩と高さ4mの女岩を結びます。

夏至の前後(5月上旬から7月下旬)は、夫婦岩の間からご来光を見ることができ、また冬至の頃には「夫婦岩」の間から月がんぼってくるのを見ることができます。

時間的に旅程の都合がつかず、今回はご来光も神事も見逃してしまい、また大注連縄が結ばれていない鳥居しか見ることができませんでしたが…それもひとつの貴重な光景ですね。

大注連縄張神事は、威勢の良い「木遣り唄(きやりうた)」二見太鼓が鳴り響くなか、お祓いを受けた大注連縄を地元の氏子と参拝に訪れた人々によって夫婦岩へと張り渡されます。この時期訪問される方はぜひ早朝、また神事に合わせて訪れることを検討されてはいかがでしょう。

国の重要文化財「賓日館」

案内板によると、「賓日館(ひんじつかん)」は明治20年(1887年)、伊勢神宮の賓客の休憩・宿泊施設として、ここ藤堂藩の砲台跡地(敷地面積千坪余り)に、神宮の崇敬団体・財団法人神苑会によって建設され、明治天皇の母「英照皇太后」をはじめ、大正天皇・皇太子「明宮嘉仁親王」、歴代諸皇族、各界要人が数多く宿泊されたとあります。

国指定重要文化財となっている歴史的な建造物ですが、120畳の大広間や回遊式の日本庭園など内部の見学も可能です。

賓日館
三重県伊勢市二見町茶屋566-2

二見浦周辺の食事処

伊勢シーパラダイスにある伊勢まぐろが食べられる和食処「まぐろ神社 伊勢」、豪華な伊勢海老コース料理が魅力の日本料理「さらさ廣」、名物の伊勢うどんの「多市屋」などのほか、二見興玉神社の門前に伊勢うどんや手こね寿司など伊勢志摩の郷土料理が食べられる伊勢うどん&土産店「まるはま」があります。

二見浦は、古来から伊勢神宮に献上する塩づくりが行われてきた歴史があり、岩戸の塩を使った塩ソフトクリームも人気ですよ。

護符「蘇民将来子孫家門」の豪華な注連縄が目を引く

お正月、歳神様を迎えるために玄関や門口に飾られるしめ縄は、松の内を過ぎると外されるのが一般的な風習ですが、ここ伊勢では一年中、しめ縄を飾っています。

「笑門」や「先客万来」などよく見かける護符のほか、近年は無病息災を願う「蘇民将来子孫家門」の護り札が人気なのだそうです。

アクセントになっている左上の「橙(だいだい)」は、代々という意味で、丸い形状も合わせて一家の円満を願っています。惚れ惚れするような立派なしめ縄ですね!

二見興玉神社へのアクセス

伊勢インターから二見興玉神社までは約10分ほど。東京方面からは伊勢自動車道→伊勢二見鳥羽ライン→県道37号→国道42号を走行しました。公共交通機関を利用する場合は、JR参宮線「二見浦駅」から徒歩20分程です。

神社の手前に30台ほどの無料駐車場がありますが、ゴールデンウィーク中の神事が行われる日とあってどこも満車。今回は下記マップ⑤の「音無山公園駐車場」に駐車しました。

ちなみに二見興玉神社から伊勢神宮の外宮までは車で(国道42号)わずか約20分。お伊勢参りの前にぜひ二見興玉神社には立ち寄りたいですね。

「らくらく伊勢もうで」の交通規制マップより

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