【栃木・日光】徳川家康公を祀る世界遺産「日光東照宮」の見どころ

世界遺産「日光東照宮」を拝観

日光東照宮は、徳川初代将軍「徳川家康公(東照大権現)」を御祭神として祀る神社(1617年、天海大僧正の設計で2代将軍徳川秀忠公により建てられ、1634年~1636年に3代将軍徳川家光公により造替)。現在そのほとんどの建築物が、 国宝や重要文化財に指定され1999年に世界遺産に登録されています。

日光連山の霊山「男体山」からの男性的な力強いエネルギーと「女峰山」からの女性的な優しいエネルギーを受け、子宝、恋愛成就、仕事運、勝負運、上昇運などがもらえるパワースポットとしても知られています。

拝観時間:9:00 – 17:00(11月1日 ~ 3月31日の間は16:00迄)
拝観料 :大人1300円、子供450円

奥正面に見える拝観受付の表門(別名仁王門)の手前には、葵のご紋が入った東照宮の石塔と、重要文化財の巨大な石鳥居や五重塔が建っています。

日本三大石鳥居のひとつ「日光東照宮の石鳥居」

日本三大石鳥居と言われる日光東照宮(ほかは鶴岡八幡宮、八坂神社)の「石鳥居(一の鳥居)」(重要文化財)は、日光東照宮創建の翌年1618年に造営された花崗岩製の石造明神鳥居。

高さ9.2m、柱間6.7m、柱の直径3.6mの巨大な石鳥居は、九州筑前(福岡県)藩主黒田長政によって奉納され、石材は、船で小山に運ばれ、その後陸路を人力で日光まで運ばれたといいます。

日光東照宮マップ

有名な三猿の彫刻がある「神厩舎(重要文化財)」

日光東照宮の表門を入ってすぐ左手にあるのが、祭神が乗る神馬(しんめ)をつなぐ厩であったという「神厩舎(しんきゅうしゃ)」。日光東照宮初代の御神馬は、関が原の戦いで徳川家康が乗った名馬(1617年〜1630年)だったそうです。

厩神とされる猿の彫刻で人生風刺

古来、猿は馬を守護する「厩神(うまやがみ)」とされていたことから神厩舎の長押に猿が彫刻されており、母親が子供の未来を望む姿〜悪いことは不見・不聞・不言するという教えを表す幼少期〜希望を胸に将来を見つめる青年期〜慰め励まし合いながら自立した大人への成長〜恋をして結婚して再び子供が生まれる…というような人間の一生が風刺されています。

近年改修工事が終わったという彫刻は色鮮やかに蘇っています。顔の表情などは昔のままを忠実に再現して欲しい派にとってはちょっと違和感が否めませんが…東照宮は時代に合わせてアレンジするのが伝統になっているのだとか。きっとそのうち見慣れるのでしょうね☺︎

想像の象がいる「三神庫(重要文化財)」

神厩舎の前にあるのが、春秋渡御祭「百物揃千人武者行列」で使用される馬具や装束類が収められているという上神庫・中神庫・下神庫を総称して「三神庫(さんじんこ)」。

一番奥の「上神庫(かみじんこ)」の屋根下には、実物を知らない江戸時代初期の絵師「狩野探幽(かのうたんゆう)」が下絵を描いたという「想像の象」の彫刻が施されています。

豪華絢爛の「陽明門(国宝)」

京都御所の東門から名前をとったという「陽明門(ようめいもん)」は、高さ11m、幅7m、奥行き4.4mという豪華絢爛の楼門。2013年から約4年、総工費12億円をかけて修繕工事が行われ2017年に完成したものの、昨年12月から今年の4月まで塗料のはがれや雨漏り箇所などの手直し工事があったそうで、最高に鮮やかで美しい最新の陽明門を拝むことができました。

陽明門は508体の彫刻で覆われており、いつまで見ていても飽きないところから「日暮らしの門」とも呼ばれているそうです。

建築様式、工芸、彫刻など江戸文化満載!

屋根の上には鬼瓦。軒下には後水尾天皇の御宸筆象った御神号の扁額が掲げられ、その両脇に麒麟が配される。その下に龍と息が二列に並び、さらに下には龍の全身像と龍馬。二階の廻縁の高欄に「千人唐子の知恵遊び」、その下に唐獅子、次に中国の君子の姿。通路両側の脇の間には随身が控える。陽明門に見られる多くの人物像は、泰平の世をもたらした徳川家康公の功績を称え、理想的な政治の在り方を示すものと考えられる。(案内板より)

グリ紋が施された「魔よけの逆柱」

陽明門には曲線模様の「グリ紋」が施された12本の柱があり、陽明門の背面側に「魔よけの逆柱」と呼ばれてる柱があります。物事は完璧であるとかえって魔が差すとの考え(満つれば欠ける)から、不完全な柱を加えて魔除けにしたそうです。

綺羅びやかな「神輿舎(重要文化財)」

「神輿舎(しんよしゃ)」には、春秋渡御祭(5月18日、10月17日)に使われる3基の神輿(徳川家康公、豊臣秀吉公、源頼朝公)が収められています。

唐破風の軒下には家康公の干支である虎と、鳳凰や鶴などの色鮮やかな彫刻が施され、天井には楽器を演奏しながら天空を舞う「天女の絵」が描かれています。渡御の際など内部が空室になった状態で手を叩くと、反響音が天女たちのささやく声に聞こえるそうです。たぶん東照宮の境内にある薬師堂の鳴龍と同じような現象なのでしょうね。


本殿・拝殿の正門「唐門(国宝)」

胡粉で白く塗られ細かい彫刻が施されている「唐門(からもん)」は、江戸時代の参拝基準となった門で、ここより昇殿出来るものは御目見得(将軍に拝謁できる身分)以上の幕臣や大名に限られていたそうです。唐門の先に撮影禁止エリアとなっている御本殿が少しだけ見えます。

風水や陰陽道のさまざまな手法を使い北の守りを固める重要な場所として、江戸城の真北に建てられた日光東照宮(家康公を東国の天照大神と神格化し、天帝と一体化した北極星のパワーが東照宮を通して江戸城を守るという構想)ですが、御水舎の近くにある鳥居から陽明門そしてこの唐門と本殿は、延長線上の空に北辰(北極星)が現れるような配置になっており、その通りを「北辰の道」と呼ぶそうです。

眠り猫(国宝)と坂下門(重要文化財)

有名な「眠り猫」の彫刻は、神楽殿から続く廻廊の闌干にあります。廻廊を渡ると「坂下門」があり、奥社へ通ずる参道へ続きます。

江戸時代、奥社へは将軍家のみ参拝した。天井には長寿を表す菊の彫刻が施されており、その下には寿命千年といわれ、現世と幽世とを結ぶとされる鶴の彫刻がある。(案内板より)

大地のエネルギーが流れる龍道「奥社参道」

坂下門から奥宮に向かう石の階段は207段。空高くまっすぐ伸びた杉木立に囲まれたこの「奥社参道」は、大地のエネルギーが流れる「龍道」とも呼ばれているそうで、まさに昇り龍のごとく曲がりくねった急な石段を昇っていきます。

参道の上段には「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。」という東照公御遺訓が掲げられていました。

その続きは..

「.不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。」

その意味は…

「人生は、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。急いではいけない。不自由が当たり前と思えば不満は生じない。心に欲が起きたときには、苦しかった時を思い出すことだ。我慢することは無事に長く安らかでいられる基、怒りは敵と思いなさい。勝つことばかり知って、負けを知らないと足元をすくわれる。自分自身を反省し、人を責めるな。足りないことは度が過ぎるよりも優れている。」

日光東照宮でもっとも神聖な「奥社(重要文化財)」

奥宮とも呼ばれる「奥社」は、文字通り御本社より奥にある神社。銅鳥居、銅神庫、拝殿、鋳抜門、宝塔の建造物(重要文化財)があり、家康公が眠るとされる日光東照宮でもっとも神聖な場所とされています。

黒漆塗りの「奥社拝殿」

黒漆で塗られた「奥社拝殿」は、真鍮や銅板を使った重厚な造りで、内部は鮮やかな黄金色で彩られています。

かつて歴代将軍しか立ち入れなかった奥社は、一般庶民にとっては夢の場所…足を踏み入れることは決して叶わなかった聖地ですが、1965年に行われた東照宮350年祭を機に、一般公開されるようになったのだそうです。

家康公の御墓所「奥社宝塔(重要文化財)」

「奥社宝塔」は、家康公の遺骨の一部が分霊されているという御墓所。8角5段の石の基盤の上に更に3段青銅で鋳造し、その上に宝塔が乗せられており、塔の前には三具足(鶴の燭台、唐獅子の香炉、花瓶)が添えられています。

ここは風水において「龍脈」と呼ばれる強いエネルギーが集中する場所なのだそうで、宝塔の脇には「諸々の願い事を杉のほこらに向かって唱えると願い事が叶う」という言伝えがある樹齢600年の「叶杉」があり、祈願する人々の行列ができていました。

天井の龍が鳴く「薬師堂(本地堂)」

日光東照宮最後の拝観は、東照宮の中で最大規模の建造物という鳴龍で有名な「本地堂(薬師堂)」。龍の頭の下で拍子を打つと、カーンと鳴ったあとに鈴を転がしているような共鳴音が鳴り、それが龍の鳴き声に聞こえるため「鳴龍」または「鈴鳴龍」と呼ばれるようになったのだとか。

龍の頭の下でだけ起こるというこの反響音は、定常波(フラッターエコー)と呼ばれるものが原因で、龍の頭部分の天井がわずかにへこんでいるために起こるのだそうです。


日光東照宮 公式HP
栃木県日光市山内2301