レンタカーでローマを出発〜チヴィタからオルヴィエートへ! ラツィオ州にある天空の街「チヴィタ・ディ・バニョレージョ」のあとに向かったのは、ウンブリア州にある天空の街とも世界一美しい丘上都市とも呼ばれる…
【イタリア・ラツィオ】レンタカーで天空の街「チヴィタ・ディ・バニョレージョ」を訪問!
目次
レンタカーでローマからチヴィタ・ディ・バニョレージョへ!
車でローマからラツィオ州北端(ウンブリア州との境)にある「チヴィタ・ディ・バーニョレージョ」までは、フィレンツェ方面のアウトストラーダ(高速道路)を北上し約2時間弱(約150キロ)の距離。
ローマのフィウミチーノ空港に到着後の前夜、無事に予約していたレンタカーができたので、翌朝早くに宿泊した空港近くのホテルを出発することができました。「ORTE」というアウトストラーダの出口を降りてからは、ドライブ気分で緑深い田舎道を走り抜けます。
天空の街への入口「バニョレージョ」に到着
午前9時頃、天空の街「チヴィタ・ディ・バニョレージョ」(チヴィタは町という意味でイタリア地図にはいくつもチヴィタの文字を見ることができますが、ここでは以下「チヴィタ」と呼ぶ)への入口となる町「バニョレージョ(Bagnoregio)」に到着。
イタリアの車事情は色々と大変と聞いていたし、初めてのレンタカーで不安でしたが、事前に交通ルールやアクセス方法を入念にチェックしていたかいがあり、何事もなくスムーズに到着することができました。
人口約3700人というバニョレージョですが、ほとんど人影がなく質素で寂しい雰囲気です。
「チヴィタ」への最寄りの駐車場
バニョレージョの細い道を進むとチヴィタに向かう橋の下に駐車場があるという情報でしたが、駐車場の500mほど手前を左折しようとしたところ、車両乗り入れ禁止地区の看板「ZTL(Zona Traffico Limitatoの頭文字をとった略称)」のサインが…いつから看板が立ったのかはわかりませんが、現在は住民、宿泊者、身体障害者など、関係者以外の一般車両は入れない模様。
ということで、その先の突き当りにあるカフェ「Caffè Belvedere」前の有料駐車場に駐車することにしました。かなり旧式の券売機は、コインのみしか使えず、発券のボタンを押してもチケットが出てこないので焦りましたが、機械の奥に入れると紙が詰まっていて、引っ張り出すことが出来て一安心。こんなところで万が一レッカーでもされたら最悪です。チケットをフロントガラスから見えるところに置き、盗難予防で荷物を全てトランクに押し込み、いざ出発!
一応、駐車場の横に公衆トイレがあります。(もちろん便座も紙もなし…)
断崖絶壁に佇む「天空の街」チヴィタを望む
カフェの横から少し歩いたところに展望台があり、チヴィタとそのまわりのカランキ渓谷全体を見渡すことができました。
この日はあいにくの曇で薄暗く、全体的に霞んだ景色だったのですが…深い谷が広がる中にポツリと取り残されたような断崖絶壁の丘、その上にひっそりと佇む中世からの街並みとチヴィタに続く一本の細長い架け橋…、なんともシュールで美しい!
霧や雲海が見られるときは、まさに「天空の城」となるのでしょう…
何層にも重なった地層のグラデーションは綺麗なのですが…地表むき出しのまさに絶壁!崖スレスレのところまで建物がひしめき合い、空高くそび立つ鐘楼が見えます。
橋の最後の方から正面のサンタ・マリア門まではかなり急勾配の坂道が続く…
ローマ帝国時代よりも古いチヴィタの歴史
チヴィタは2500年以上前にイタリア中部の先住民「エトルリア人」によってつくられた丘上都市(イタリアには数多くの丘上都市があり、その多くは中世後期の商業拠点として発達)。エトルリア人が去ったあとは、ローマ人が移り住み中世ルネッサンスの時代に突入、現存の建物はこの中世ルネッサンス時代(14世紀頃)のものも残っているというのだからスゴイですね。
の地域は特に地震や地質の隆起活動が盛んな場所で、古代から大震災などが起こる度に建物などの改修が繰り返され、またその台地自体もテヴェレ川に面したもろい凝灰岩であるため、長い年月をかけて雨や風などによる浸食が徐々に進んでいるというのです。(台地の約3分の1が消滅したと推測されており、かつてあったという外部と繋がる道やいくつもの門(チヴィタへの入り口)も崩壊、現在はサンタ・マリア門のみが残っている)
大地震の度に橋が寸断され徐々に住民が街を去っていき、一時はほとんど廃墟のような状況だったのが、近年その美しい天空の街が話題になってからは、知る人ぞ知る有名な観光スポットとして世界中から旅行者が訪れるようになったのだそうです。
とはいえ、今もなお風化は進んでおり、いずれは消えてしまう運命のチヴィタ…そのため「死にゆく町」「滅びゆく町」などとも言われています。今では、チヴィタの住人はわずか数世帯だけだとか。。。
こちらの写真は、ヴァチカン美術館「地図の間」にあるフレスコ画で描かれた巨大な古地図。(いつの時代のものかは確認しませんでしたが、「Bagnoregio」(バニョレージョ)と思われる「Bagnarea」と、このあと訪問することになる「Orvieto」(オルヴィエート)の町が描かれています。
オルヴィエートの記事はコチラ
バニョレージョとチヴィタをつなぐ唯一の橋を渡る
まずは橋の手前にある小さなチケット売場で1人3ユーロ(以前は1.5ユーロだったが2017年8月より値上げ)の通行料を支払う。この通行料は街の保全のために使用されるとのことで、気持ちばかりのドネーションという感じですね。
バニョレージョとチヴィタの行き来をするのに、住民や関係者はオートバイや三輪車などで通行しているようですが、観光客はこの約300mほどの細長い橋を徒歩で渡るしかありません。見ただけで足がすくむような橋なのに、さらにこの日は飛ばされそうなほど風が強く、橋を渡るのがとても怖かった…
ちなみに40〜50年ほど前まではロバで食料や日用品が運ばれていたのだそうです。
中世の息吹を感じるチヴィタの街を散策
城壁に囲まれ、街全体が要塞となっているチヴィタ。徐々に侵食されて地層が現れた断崖を見ると、「滅びゆく街」と言われている危機的な状況が伺えます。
長い橋の最後は急勾配の坂。ジグザクとした石畳の道を登りきるとチヴィタの入口であるサンタ・マリア門に到着。
「天空の城ラピュタ」を彷彿させるような崩れた石壁やツタに覆われたアーチが印象的。石畳の道、褐色のレンガや石造りの建物の間を歩いていると、タイムスリップしてしまったような中世の息吹を感じます。
冬の寒さと、どんよりした空模様の物哀しい風景の中、小窓の花台や階段などに色鮮やかな花が飾られているのを見ると、ほっこりします。
12月の訪問だったので、観光客もまばら、住民と会う機会は全くなかったものの、結構な確率で住ネコたちと遭遇。人よりネコの方が多く住みついているようです。
絶壁を覗き込むとその下に綺麗に整備されたガーデンが…ここには住人がいるのでしょうか。絶景ですが、ここに住めと言われたら絶叫します。
小さなチヴィタの街中にある魅力的な路地裏
東西に伸びる一番長い道でも全長約200mという、とてもコンパクトなチヴィタ。小さいながら数軒のカフェやレストラン、土産店、宿泊施設など必要なものは揃っています。ただ、チヴィタ内を訪問したのが10時から11時頃だったので、まだ早かったからなのか、または観光客が少ない冬季は休業するのか、どこのお店もほとんど閉まっていました。
ワクワクするような魅力的な路地裏がいくつもありますが、1時間もあれば隅々まで歩けます。
チヴィタの中央広場
一見映画のセットのようなこじんまりとした中央広場。迷路のような路地も、全てこの広場に通じているようです。
車や生活音が全く聞こえてこない、人の気配を感じない独特な静けさ。空気が冷たい冬季の訪問は、さらにもの哀しい雰囲気。。。文明と隔絶されたこの陸の孤島で今もひっそりと暮らす人がいることに驚くばかりです。
チヴィタの教会と鐘楼
街の中にある聖ドナート教会。その隣には展望台からの眺めで一番目立っていたロマネスクの鐘楼(基盤部分には、エトルリア時代の石棺が使われているそう)があります。
教会は頻発する地震の度に被害を受け、修復を繰り返していたということですが、最近も地震があったのか、鐘楼の壁が崩れ落ちていたり、時計部分のまわりが木枠で固定されているなど、外観がかなり傷んでいる印象でした。
再び展望台からチヴィタの眺め
悠久の歴史に思いを馳せながら、しばしチヴィタの街を見つめる…
この先いつか消え去る運命の「滅びゆく街」を目に焼き付け、今なおこの地にとどまり細々と暮らす人たちの幸せと安全を祈りつつ、チヴィタをあとにしました。
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