【神奈川・箱根】江戸時代へタイムスリップ!完全復元で蘇った「箱根関所」を訪ねる

1619年に徳川幕府が設けた箱根関所は、1869年(明治2年)に関所が廃止されるまでの250年間、軍事的な拠点として、また後年は治安維持のための警察的な役割として機能。江戸時代の東海道における歴史を知る上で重要な遺跡です。今回の箱根旅行では、2005年に完全復元されて甦った「箱根関所」を見学しました。

伝統技術で完全復元された「箱根関所」

1983年、静岡県韮山町(現・伊豆の国市)で「相州御関所御修復出来形帳(1865年)」(江戸時代末期に行われた箱根関所の解体修理の詳細な報告書)が発見され、箱根関所の構造などの全貌が明らかとなったことで箱根関所の完全復元が可能となったそうです。

1999年に発掘調査を開始後、建物の復元や周辺の環境整備によって2004年一部の建物を公開、そして箱根関所の閉鎖から約150年後となる2007年に完全復元された箱根関所が全面公開になりました。

箱根関所の復元整備は、江戸時代に存在した姿をただ再現しただけでなく、当時の職人たちが行っていた木工技術や石工技術を使って建物や石垣などが復元されているそうです。

箱根関所の設置と役割

飛鳥時代の646年(大化2年)に鈴鹿(伊勢)、不破(美濃)、愛発(越前)の3ヶ所に「関塞(せきそこ)」を置くことに始まったという関所の歴史…。

東海道を監視するため1619年(元和5年)から1869年(明治2年)まで江戸幕府によって現在の場所に設置されたという箱根関所は、幕府が倒れたのちの明治政府によって関所が廃止されるまで250年間にわたり、軍事的な拠点として、また後年は治安維持のための警察的な役割として機能していたといいます。

徳川幕府は全国53ヶ所あまりに江戸に入る武器類と、江戸から出ていく女性、いわゆる「入り鉄砲に出女」に対して厳しく取り締まるための関所を設けたといいますが、ここ箱根関所では入り鉄砲検査は行わず、とくに「出女」(江戸に奉公などしている一般庶民女性を含め、幕府に対する謀反が起こらないよう人質として江戸に住まわせた諸大名の妻子の帰国を防ぐため)に厳しい監視の目を光らせていたようです。

京口御門

京都方面から江戸へ向かう旅人は、千人溜りで一旦待たされたのち、この京口御門から関所内に入りました。関所内は思いのほか小さい印象です。

江戸口御門

江戸から西方へ向かう場合は江戸口御門から入ることになり、入ってすぐ右手には1711年に幕府道中奉行が箱根関所に出したという高札「御制札」が掲げられ、5項目が記載されています。

一、関所を通る旅人は、笠・頭巾を取り、顔かたちを確認する。
ニ、乗物に乗った旅人は、乗物の扉を開き、中を確認する。
三、関より外へ出る女(江戸方面から関西方面へ向かう女性:出女)は詳細に証文と照合する検査を行う。
四、傷ついた人、死人、不審者は、証文を持っていなければ通さない。
五、公家の通行や、大名行列に際しては、事前に関所に通達があった場合は、通関の検査は行わない。
  ただし、一行の中に不審な者がまぎれていた場合は、検査を行う。

旅人が関所を通るには以上の検査が行われ、関所通行手形を持っていなければならない旅人、とくに江戸から出てきた女性「出女」は、幕府の御留守居役が発行した証文(女通行手形)を必ず所持しなければいけなかったというのが分かります。

箱根関所の役人たち

箱根関所には、小田原藩から1ヶ月の交代制で勤務する役人(伴頭1名、横目付1名、番士2-4名、定番人3名、足軽15名など)が常時20数名勤務し、それ以外では女性の通行を取り締まる女の役人(人見女)と定番人は関所近辺に住み、代々受け継がれてこれらの役についていたといいます。

※人形の表情は豊かですが、色もなく着物なども羽織っていないのでちょっと味気ない印象…。これは役人の身体的特徴や衣服の色・模様などについての詳細が不明のため、逆に史実と異なった印象を避けるためという理由からシルエット展示となっているようです。

番頭と横目付

1か月交代で毎月2日に小田原城下から関所に赴任していた番頭は、箱根関所に勤める役人の最高責任者。また横目付は、伴頭の補佐役で、関所の仕事が正しく行われているかどうかについて、厳しく監督していた役人です。

番士と定番人

番士は、手形改めや通行人の検閲などの関所の実務を担当していた役人。また関所の近くに住み代々その役を引き継いでいたという定番人は、関所の実務には欠かせない存在だったといいます。

人見女(改め婆)

「人見女(改め婆)」は、出女を検査する女性の役人(主に定番人の母や妻)。出女が必携の通行手形「御留守居証文」(身元、行先などのほか身体特徴などが書かれている)を関所で差し出すと証文を確認後、人見女が出女の髪を解き「証文」に記載されている髪形やほくろの位置まで詳細な身体特徴の取り調べを開始、証文の記載と一致しない場合は関所を通ることはできず、証文の取り直しが命ぜられたそうです。

また出女の改めが行われている最中は、関所構内に他の旅人が入ることはできず、江戸口と京口の両千人溜りで待たされたのだとか。待つものはイライラ・ドキドキ、検査される女性はハラハラ・ドキドキ…ここは恐怖と忍耐の場所だったのですね….。

足軽

足軽は、遠見番所からの芦ノ湖の監視、関所の掃除や木柵の点検・補修といった雑務などが仕事。また、出女の改めが行われる際には、江戸口・京口両御門の前に立ち、他の旅人の立ち入りを禁止とする役目も担っていたといいます。

また、足軽の控室や寝床となる足軽番所には、不審人物や罪人を留置する牢屋もあります。

芦ノ湖が望める高台へ

足軽番所の裏手には、2001年の遺構調査で井戸の木枠が発掘され2007年に復活したという井戸があります。その後この井戸は一定の水位を保ったまま水が枯れることはないそうです。

復活した井戸の横に、芦ノ湖が望める高台の「遠見番所」へと続く急勾配な石段(69段)があり、ここから遠見番所へ向かいます。

芦ノ湖の通行を監視する「遠見番所」

江戸時代は旅人が舟で芦ノ湖を渡ることを禁止していたため、足軽が2人1組となり、この高台の遠見番所から芦ノ湖や街道沿いを昼夜交替で監視したといいます。

現在は国の史跡として保護されている杉並木が空高く伸び、芦ノ湖の景観を遮っている部分がありますが、当時は関所の役目を果たすため、しっかりと枝の伐採がなされていたそうです。

展望広場からの眺め

遠見番所の隣にある展望広場からは、眼下に箱根関所跡港(赤い桟橋)や箱根海賊船・元箱根港が望むことができます。写真を見ていただいても、この高台がかなりの急斜面に建てられたものということがわかると思います。山の斜面には山奥へと続いていたという長い柵が設けられています。

江戸口御門川の関所通りから「箱根関所資料館」へ

素晴らしい芦ノ湖の風景を眺めたあとは、江戸口御門を出て約100mほど先にある「箱根関所資料館」へ。

足が疲れたら関所横にある憩い処「御番所茶屋」で、芦ノ湖を眺めながら甘いおやつを食べて休憩するのも良いですね。関所・道中だんご、お茶屋セットなどのほか、甘酒、ビールなどがあります。(御番所茶屋に行きたいときは箱根関所の見学をしなくても無料で通り抜けることが可能)

関所通りの途中に富士山が望めるスポットもあります。

関所について知る「箱根関所資料館」

箱根関所資料館には、各種の手形のほか、役人たちの日常生活や取り調べの様子などを展示。また関所破りで捕らえられた人や指名手配されている人などの写真や記事など、興味深い記録を紹介しています。

関所破りの罪で獄門となったお玉の悲話

1702年(元禄15年)2月のこと、伊豆から江戸に住むおじさんの家に奉公していた百姓の娘「お玉」は、家恋しさに店を抜け出し、通行手形もないままに家に逃げ帰ろうとして関所の裏山を抜け柵を乗り越えようとしたところ村人に見つかってしまう…。関所破りの罪で箱根関所の獄屋に約2ヶ月間入れられたのち下された処分は、打ち首獄門。関所破りは親殺しと同じ重罪(磔の刑)ながら、ひとつ刑が軽い獄門(さらし首)とされたとあります。

今でこそ人身売買は犯罪行為ですが、昔は当然のように身売りがまかり通った時代…。農村の百姓の子供として生まれた長男、または長男に嫁入りした娘以外、次男以降や娘たちの多くは、江戸や京都などに出て、丁稚奉公、個人商店の売り子、または遊女などとして、雇い主の下でこき使われ、食事と宿舎以外をほぼ無給で働いていたというのが、その時代の現実…。

農耕する土地や家屋を譲り受けた長男以外の息子や娘は家を出された時点で、もう帰る場所などなく、一族の家族関係そのものが終わっていたとすれば、お玉は本当に家恋しさだけで重罪となる関所破りをしたのだろうか?そんな疑問が生まれます…もちろん史実にはそれ以上の記載はなく、想像を膨らませるだけなのですが、丁稚奉公していた先の雇い主が、大人になった娘たちを身売りするなどということも多々あったのではないでしょうか…。

その後、お玉が捕まり処刑されたとされる坂道に「於玉坂」という坂の名前がつき、その近くにある「なずなヶ池」は「お玉が池」と呼ばれるようになったということです。

女性にとっては本当に厳しい時代…、箱根関所は生死にかかわる本当に恐ろしい場所だったにちがいありません。今の時代からすれば、ただ通り抜けるだけのことで重罪になるなど、全くもってあり得ないこと…逆にほんの数百年の間に国内ばかりか海外へも自由に飛び回れる時代になったというのは、躍進的な進歩と言えるのかもしれません。いずれ数百年後には今の常識も変わっているのでしょうね…。

そして、どの時代も変わらずあるのが賄賂。手形を持っていない女性は、時には案内人を雇って夜中に通り抜けたり、宿の亭主に頼んだり、賄賂を使ってあの手この手で無事に通過していたとのこと。まだ10代のお玉には、その知恵もお金もなかったばかりに獄門に処されてしまったという…江戸時代に起こった悲話でした。

関所の役人も関所破りがしょっちゅう出ては咎められるため、実際にはこうした裏取引も大目に見て、また役人に取り入って見逃してもらったり、道に迷ったとして寛大な処分を施したりしていたようで、お玉のように処刑されたのはとても稀なケースだったようです。(記録によると箱根での関所破りは5件・6名)

ちなみに、江戸時代に流行した「お蔭参り」(数百万人規模の集団神宮参詣)は、約60年周期(1661年・1701年・1705年)の3回起こったといいますが、伊勢神宮参拝者や温泉湯治などを行う者に対しては「書替手形」と呼ばれる特別な手形を出し、より簡単な手続で済まされることがあったようです。

京口御門側の関所通り

京口御門側の関所通りには、「箱根関所からくり美術館」 など、箱根の伝統工芸である寄木細工専門店が数店と土産店、蕎麦屋、うどん屋などが立ち並ぶほか、なぜか「玉屋」(品揃えの多さにびっくり)という天然石屋さんなどもありました。

箱根関所へのアクセス

電車・バスの場合は、小田原駅からは箱根町行バス(55分)、箱根湯本駅からは箱根町行バス(40分)、いずれも「箱根関所跡」を下車して徒歩2分。

車の場合は、小田原厚木道路、小田原西ICから車で40分、東名御殿場ICから車で50分。箱根関所には専用駐車場がないので、近隣の駐車場を利用します(下記参照)。

近隣の駐車場

箱根町園地駐車場(無料)

箱根恩賜箱根公園駐車場(普通車310円/h、大型車830円/h、二輪車110円/h)

箱根関所旅物語館駐車場(平日無料、週末や繁忙期は1回500円)

今回利用したのは24時間無料の箱根町園地駐車場で、箱根関所までは徒歩7-8分です。

関所見学の割引サービス

「富士箱根伊豆交流圏づくり」の優待券(プリントアウト)や、「箱根フリーパス」の割引サービスのほか、小田急ポイントカードの提示、またアカウントがあれば、「箱根関所のFacebookページ」にいいね!をした画面を提示すると割引になります。

箱根関所
神奈川県足柄下郡箱根町箱根1番地

見学時間はじっくり見ても1時間ほど。箱根の歴史に触れ江戸時代にタイムスリップした気分を味わってみてはいかがでしょうか?!

箱根町・芦ノ湖 周辺マップ

【神奈川・箱根】1泊2日の「箱根・芦ノ湖観光スポット」ドライブ旅行